2011年2月3日木曜日

節分――豆を蒔くことの意味


こんばんは。今日は節分ですね。

いかがお過ごしですか。

ご家族で豆まきしたり、一人で壁を向いて、もぐもぐと恵方巻きにかぶりついたりしてますか? ぼくはお昼にいただきました。太巻き1本が昼食という、うれしいような、さみしいようなビミョーな感じでした。でも美味しかったのでよかったです。

今日は節分にあたりますね。節分とは、季節が始まる日(立春、立夏、立秋、立冬)の前日を指します。また、「季節を分ける」という意味もあります。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多いようですね。

豆まきは、各地方や神社、家系によって、それぞれしきたりや、方法がさまざまにあるようですが、基本的には季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていて、それを払うための悪霊払いの行事というのが基本になっているようです。古来、節分の行事は宮中での年中行事でもありました。追儺(ついな)と言ったそうです。現在は宮中で行われているかどうか分かりませんが、この地に暮らす人々にとって、大切な日だということには変わりないように思います。

その内容は、大舎人(おおとねり=宮中で要人の雑務、護衛にあたった官人)が扮する方相氏(金色の目が4つ、頭に角が生えている鬼のような姿をした神さま。人間の目には見えない悪鬼を退散させる鬼神)が、右手に矛、左手に盾をもって鬼払いをするという儀式でした。平安神宮などでは現在も行われているようです。

日本では、このような歴史を持つ豆まきですが、ネイティブ・アメリカンや古代ハワイでも、とても似たような邪気を払う方法というのが伝わっています。ネイティブ・アメリカンはセージの葉や、タバコの葉を燃やして、煙を浄化につかいます。古代ハワイでは、塩や海水、ティーリーフを使って浄化をします。世界中どこでも、浄化するということは、とても大切なことだったようです。

今回は、日本の地に古来から伝わる、邪気を払う浄化の方法としての、豆まきをお伝えしましょう。


◎豆まき

・ひとつまみの粗塩と一緒に、小鍋などで豆を煎る
・煙が上がってくるのでかまわずに炒り続ける。この煙も浄化作用がある
・包丁で十字を切る
・「払いたまえ」と唱えながら豆を煎っている鍋の中に刃先を入れて、横に払う
・「清めたまえ」と唱えながら豆を煎っている鍋の中に刃先を入れて、縦に払う。
・真っ黒の豆を、升などの四角い入れ物に入れる(ぼくは折り紙で四角い箱を折ります)
・窓、ドアは全開にして、換気扇をつけておく(ここは大切です)
・手の甲は下に向け、天井に向かって豆を撒く
・かけ声は「福は内。鬼は外」
・すべての部屋に捲き終わったら、箒ですべての豆を玄関から吐き出す


 これが、日本に伝わる、浄化方法のひとつです。

特に節分でなくてもかまいません。家の中やお部屋が、なんとなくどんよりしたり、いやな感じがするようになったと感じたらやってみてください。
豆まきをすると、不思議とけっこうすっきりしたりします。



・写真 上 お正月の黒豆ではありません。大豆です
      下 小さなダッチオーブンのスキレットで煎ってみました







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2011年1月31日月曜日

Oneness--「ひとつ」であることを学ぶ

こんにちは。ごぶさたしております。


みなさまいかがお過ごしでしょうか。
毎日寒いのでお風邪などめしてらっしゃらないでしょうか。

ぼくは、今月半ばに花粉症予防の好転反応から、そのまま風邪をひきました。

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さて先日は、ジョン万次郎こと中浜万次郎の誕生日でありました。つまり、ワタクシの誕生日であったわけです。というわけで、 先日は羽織袴に、てきとうチョンマゲで葉山・日陰茶屋へ行ってまいりました。羽織もさることながら袴をつけるとやはり気持ちがしゃきっとします。何よりも、着物姿にお店の方がとても喜んでくれたので嬉しかったです。チョンマゲは本意ではないのですけど、仕事のせいもあり、髪が伸び放題になってしまったので(笑

このブログでは、あまり書くことはないのですが、戦国時代から脈々と受け継がれる古武術を稽古していることもあり、実は着物がけっこう好きだったりします。今は仕事で、ちょっとお休み中なので、早くまた再開したいと思っています。

日影茶屋は、350年前、江戸初期から続く老舗です。夏目漱石も美味しい料理目当てに通ったという由緒ある料亭ですね。サザンの歌にも出てきたりしますけど。

明治、大正期に建てられた家屋やお庭は、とても風情がありました。食事は旬の地魚を中心に供していただき、日本という国の、この地で暮らす先人たちの繊細な、「和」の心を感じるおもてなしは、目にも舌にもうれしい時間を過ごすことができました。

この、日本という島に暮らす人たちは、本来、とてもセンシティブで、特別な感覚を、この島で繰り広げられる四季や、多様性の中で生活することにより、身につけてきたのだと、あらためて考えさせられました。

誕生日に際して、ぼくは、さらなるワンネスの追求をしたいと思いました。 簡単に言うと、動植物や自然界の様子を観察して、命のやりとりや、それぞれのつながりを、つぶさに観察することによって学ぶというか……。ワンネスは、英語でonenessということで、日本語に訳すと「ひとつ」「一体」「一体観」ということになります。

たとえば、仙台の「富沢遺跡保存館(地底の森ミュージアム)」が、2万年前の植生を再現した屋外自然観察施設「氷河期の森」で、害虫のアブラムシを駆除せずに、その卵の位置と積雪の深さの関係を調べているということですが、カマキリが積雪より高い位置に卵を産みつけるという俗説は有名です。保存館職員によると、昨冬からの調査で、アブラムシにも同じ傾向がありそうだというのが分かってきたそうです。

それで、調べているのは、広葉樹ハンノキに産み付けられたオオアブラムシの卵。卵の位置は、昨冬が高さ1メートル10センチ前後、今冬は60センチ前後。「氷河期の森」の積雪は最も深いときで昨冬は25センチ(昨年3月10日ごろ)だったのに対し、今冬は今月9日と同15日の1センチ前後にとどまり、卵の高さと積雪の関係は今のところ、「カマキリの俗説」の通りになっているというのです。

また、海でイワシの群れを追うイルカやサメは、群れの中の一番弱いものを食べます。強い者は逃げてしまうので食べることはできません。それは、とても理にかなった状態だということです。強い者が残り、弱い者から食べられていくことで、命の連鎖ができあがっている。

インディアンや、古代ハワイアン、アボリジニー、マオリなど、先住民は、食べ物を狩猟採取するときは、根こそぎ取るようなことは絶対にしません。必ず、その時に食べる分だけ取り、明日へ環境づくりや命をつなげるのです。そのことを何十万年も前から続けていたのです。

こういったことから、この湘南の地で、ワンネスを調べ、実践していこうと誕生日に際して思いました。


どうか皆さま、お時間がゆるせばおつき合いくださいませ。





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2010年12月12日日曜日

ボラが教えてくれた――'anae

こんにちは。
みなさまいかがお過ごしですか?

ぼくは、長いながーい原稿を毎日少しづつ執筆しています。最近、何となくコンスタントに浮き沈みなく原稿がどんどん書けるコツのようなものが見えて、原稿生活20年以上の自分ですが、新しい光が見えた気がしているebimaruです。

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ある日、家の近くにあるハワイの海岸のようなとても気持ちのよい場所に、息抜きに出かけてみた。

そのビーチは、大きな砂利がざらざらしている、ちょっとワイルドな海岸だ。波が入ってくる日にはサーファーがちらほらとブレイクする波間に漂う。でも、今日はダンパー気味のつぶれた波で、人は一人もおらず、波だけがどんどん打ち寄せている。いつも、ぼくが散歩している静かな内海の浜とは様相がまったく異なっていて、ほんの数百メートルしか離れていないのに、外海の雄大さがうかがえる、すがすがしいビーチになっている。

ぼくが、数キロにわたって誰もいない浜で、強い風に吹かれて目を細めながら、寝転がって海を眺めていると、海面近くで猛禽が何かを狙う様子が見えた。観察していると、このあたりの海中にたくさん生えている海藻、カジメが繁茂(はんも)している海面に降下して獲物にトライしている。

猛禽は、海面近くをゆったりと風に乗って、行ったり来たりしていたが、それを取るのは難しいらしく、あきらめてどこかへ行ってしまった。空の高所に目をやると猛禽が何羽か転々と滑空する姿があった。

しばらくして、さきほどの場所に目をやると、砂浜で白いカモメが何かをつついている様子が見えた。打ち上げられた魚だろうか。

さらにしばらくして、カモメのあたりに目をやると、カモメはいなくなって、猛禽が獲物にありついていた。最初に海面近くを飛んでいた猛禽だろうか。

ぼくは、何を食べているのか知りたくなって、数十メートル後ろから、気づかれないようにアプローチしようと思い、遠回りして崖を登った。ネイティブアメリカンの技術、フォックスウォークで、観察できるポイントまでゆっくりと歩を進めた。

今日は風が強い。猛禽は少し獲物をついばむと、あたりを警戒して頭を上げる、問題はないと判断すると、また獲物をついばむ……それを繰り返している。

崖に生えているススキや、セイタカアワダチソウが風にあおられて揺れている。ぼくは、フォックスウォークで歩きながら、風に揺られるススキや茂る草たちにリズムを合わせながらゆらゆらと進んだ。

近づいていく中、ある地点で、猛禽がものすごく警戒している様子が見えた。あたりをうかがっていっこうに頭を下ろさない。ぼくは、風になびく草に合わせてゆったりと歩き続けた。その後、気づかれることなく、ポイントまで移動することができたが、獲物はちょうど砂丘に隠れて見ることはできなかった。

しばらく静かに見ていたが、誰か、別の人の気配を察して猛禽は、翼を大きく広げて舞い上がった。

猛禽が帰ってこないので、崖を降りて急いで見に行くと、大きな銀色のボラが打ち上げられていた。

海面を飛んでいた猛禽は、これを狙っていたのかもしれない。打ち上がったボラをカモメが見つけて食べ、猛禽がカモメを追い払い食べていた……。そういうことだろうか。

ボラは命をまっとうして、死んで肉体を残した。その身体を、カモメや猛禽がついばみ、明日を生きる糧にしている。このボラはもう海の中にはいないけど、カモメや猛禽の中に生きているのかもしれないと思った。命のつながりはこうして連鎖になり続いていくのかもしれない。自分が、ふだんやっていることはこうしてつながっていくように、考えて行動しているだろうか。自問自答しながら、また崖を登って帰路についた。

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ボラをハワイ語で'anae(アナエ)と言います。最初のクォーテーションは、ハワイ語で'okina(オキナ)と呼ばれる声門閉鎖音です。詰まるような感じの発音ですね。

古代ハワイでは、ボラを養殖して食べていました。厳しかった階級制度にもかかわらず、どの階級の人たちにも食されていたようです。養魚池(Fish Pond)は、アナエホオマル('Anaeho'omalu)といいます。ホオマル(ho'omalu)は保護する、制限するという意味です。つまり、「ボラを囲い保護する場所」という意味ですね。ちなみにこの'anaeは成魚のボラで稚魚は別の言い方があります。





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2010年10月20日水曜日

寒い日のほっとするHOTジンジャー

みなさまこんにちは。
秋も深まる今日この頃です。いかがお過ごしでしょうか。

すっかりご無沙汰してしまいました。
いま、ものすごく長い原稿に取りかかっております。
まだ3分の1も書けていないのですが、
すでに、ハードルに差しかかって毎日あえいでおりました。

しかし、めでたく先ほど抜けることができました。
というわけで、ブログUPです。

今日は、暖かくなる飲み物レシピです。
ぼくは、ふだん市販のコーラやジュースなど一切飲みません。
スタバのコーヒーは大好きでよく飲むのですが、
甘い○○フラペチーノとかも飲みません。

でも、時々甘い物が欲しくなるときがあります。
そんなときはいくつか登場するラインアップがあるのですが、

その一つがこれです。

題して、
「寒い日のほっとするHOTジンジャー」。

ショウガ=2片
ハチミツ、あるいはメープルシロップ=大さじ3~4
黒糖、てんさい糖、しょ糖など=200グラムくらい
お好みのホール・スパイス=クローブ、ローレル、シナモンスティックなど適宜

1 ショウガを皮ごとスライスして沸騰したお湯で軽く湯通しする。
2 密閉容器に水気を切った1を詰める。
3 水1:黒糖2(てんさい糖、しょ糖など)を煮溶かし、蜂蜜を加えたシロップを作り密閉容器に加える。
4 最後に、クローブ5~6粒、ローレル1枚、シナモンスティックを入れる。
5 きっちり蓋を閉めて一晩冷蔵庫で寝かせたら完成!

ちょっと身体が冷えた夜や、寒い日に大さじ1~2杯をコップに入れてお湯を注いで飲んだら、ほっと人心地です。

でも、本当はここからが大事なところなんです。実はこれは、同じように炭酸で割って飲むと素晴らしく美味しい夏のお飲み物、本格ジンジャーエールになっちゃうんです! え、なんでもっと早く教えなかったかって? そこは、ほら、ちょっともったいぶって来年のお楽しみにしたほうがいいでしょ? なんて。


*お酒にも合います。焼酎やジン、バーボンなんかと飲んでみるのも楽しいですよ








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2010年9月20日月曜日

踊り続ける中で――生命のつながりが見える

 きびしい暑さも一段落して、ようやく涼しげな風とともに秋の虫の声が聴かれるようになりました。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。



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  ぼくの秘密の場所の一つは海にある。
  浜辺で鳥や犬、人の足跡をトラッキングし、海流や潮の道、風の流れを読んで、魚の動きを観察する。

 先日、早朝に秘密の場所へ行くと、海面が泡だっている。最初はブロー、つまり強めの風が吹いているのだと思ったが、海の中まで入って見てみると、小さな青い色をしたプランクトンがたくさん浮遊していた。海面下をよく観察してみると、普段はコンパクトに収納されている小さな口を、最大限まで大きく広げながら泳ぐアジの群れが、海面で懸命にプランクトンを捕食している。1匹の大きさは30センチほどだ。よく見ると、それよりも小型のイワシの群れもいる。
 しばらく、海中に立って眺めていたが、アジはぼくのすぐそばに来るまで、人間がそこにいることがわからないみたいだ。30センチほどのところで気づいて、急激に小さな波を立てながら一斉にUターンしていく。
 先史時代の技術を使い、陸上と同じく、海でも気配を静める。波に揺られて、海草か浮きにでもなったかのように自分のベースラインを海と同化させる。視野を広くとって、魚や海中を凝視するようなことはしない。
 しばらく、海の中で捕食する魚の群れを観察していた。

 浜辺に座って、沖を眺めながら、海や海岸、周りの地形、後ろの山、沖に見える富士山、江ノ島、伊豆半島などを、五感を総動員して見て、聴いて、感じる。すべてがつながって見えてくる。山の息吹、猛禽の羽ばたきや鳴き声、魚群の泳ぎ、海流、細かい潮の流れ、海面を吹き渡る風、うねり、波、東の空、南の空、北の空、西の空、雲、そして天高く存在する宇宙……。
 そうして見ていると、沖の方で大きな水しぶきが上がっているのを、周辺視野でとらえることができた。何だろう。そう思って、その場所に意識を集中すると、何メートルかはあるようなグレーの大きな生き物が2体泳いでいる姿を見ることができた。海面に全体が現れないのではっきりしないけど、おそらくイルカがアジやイワシを追いかけてビーチ近くまでやって来たのだろう。
 相模湾にはイルカやクジラ類が何種類か生息している。ハワイなどでは野生のイルカと一緒に泳いで、この海では子どもの頃から泳ぎ回っているけど、今まで、ここで自分の目で野生イルカ類と遭遇しことはなかった。

 朝、海で散歩をして、日の光を浴びて、太陽の暖かさを感じ、砂浜で風に吹かれ、静かに座って、一日をスタートさせる……。自然界のリズムに自分がスムースに呼応するようで、とてもバランスがいいスタートを切ることができる気がする。
 同じように、夕暮れ時に、水辺線に日が暮れなずむ様(さま)を、浜辺に座り静かに眺めていると、不思議に気持ちが安らいで、一日が終わっていくことが実感としてとらえることができるような気がする。
 古来から、世界各地に生きる先住民は、太陽をとても大切にとらえていた。それは、こむずかしい神や観念的な宗教とは、あまりにダイレクトだという意味で一段異なる存在なのではないかと思う。
 冬の夜に、近代装備や寝袋などを持たないで、鳥や動物たちのように山中で一晩過ごしてみたらよく分かることだと思う。寒さに凍てつく長い夜を、震えながら過ごしていると、朝日が昇って気温がぐんぐん上昇していくことにこの上ない感謝や畏敬の念を感じるはずだ。また、野生の鳥や動物たちがどんなに強くたくましいか。

 先日、浜辺で夕暮れを見送り、座っていると、浜の端にやぐらが組まれ、ぼんぼり提灯がいくつも提げられて、和太鼓のリズムが聞こえてきた。ドンドンドン、ドドンドドン、カラカッカ……ドドンドドン、ドンドンドン、カラカッカ……。
 興をそそられて、浜づたいに近づいてみると、そこには浴衣姿や、ビーチサンダルに半ズボン姿の地元の皆さんが大勢集まってきていて、思いおもいに手振り足ぶりで、提灯の薄明かりにぼんやりと照らされた中で踊りに興じている姿があった。場所柄、基地のアメリカ人兵士たちが踊りの輪の中に混ざっている姿もあった。
 現代まで続く盆踊りは、平安時代に始められた仏教行事である、念仏踊りというものが、盂蘭盆(うらぼん)と結びつき、精霊を迎え、死者を供養する行事になっていったと言われている。
 夜の浜辺で繰り広げられているこの光景は、この地で太古から豊漁や豊穣を祝い、プリミティブな太鼓のリズムを奏でて踊ることにより、精霊を迎え、死者を祭っている姿に他ならない。
 そして、これは日本の各地で行われているものであり、世界中で行われているものでもあるのだ。なぜなら、ドドンドドン、ドンドンドン、カラカッカ……ドドンドドン、ドンドンドン、カラカッカ……。は、この日本という地のリズムだが、これが、アフリカになれば、もっと激しいドラムやジャンベなどになったり、ブラジルではサンバ、バリではガムランなど、各地でそれぞれの地のリズムで豊作を祝い、命の連鎖や自然界の実りに感謝して、神々と交信をはかり祈りを捧げてきたのだ。

 自分たちの祖先は、自然界の営みに自分たちを組み込み、調和し、環境を理解することによって、食物や暮らしを手に入れきたのだ。しかし、先祖が山や海の幸を命がけで探し回って手に入れていた時代から、世の中の技術はずいぶんと進歩した。
 コンビニエンスストアで24時間食べ物が手に入り、人がいないような辺鄙な山奥でも、寒くても暑くても自動販売機ではちょうどいい温度の飲み物が売られている。パソコンや携帯電話が普及し、インターネットで世界中とつながり、グローバル化によって、ロシアやアフリカに居てもニューヨークや東京の食材や衣料品を取り寄せることも可能になった。もちろん逆のことも可能になった。
 でも考えてみると、こんなに便利な世の中になっても、自分たちは自然のことをよく理解せずに、太古の昔から現在の自分に至るまで、恩恵を与え続けてくれているはずの、環境そのものを破壊する一方なのはなぜなのだろうか。
 工業化の進展や自動車の普及に伴う大気汚染、酸性雨、工業排水や生活排水などによる水質汚染・土壌汚染、フロンガスの排出によるオゾン層破壊、二酸化炭素等の温室効果ガスの放出などによる地球温暖化・海面上昇・凍土融解、開発にともなう、生物多様性の減退・生態系の破壊自然への影響を考えない土地の開発、植林を考慮しない大規模な森林の伐採……。

 ぼくたちは、いったい何を目指して、どこへと向かっているのだろう。宇宙自然界の営みは、たゆまず常に流れ続けている。変わってしまったのは何だろう。人の心か……。
 薄明かりの、ぼんぼり提灯の明かりに照らされ、盆踊りの太鼓のリズムがいつになく幻想的に感じられる。昼間の熱い日差しに焼かれた砂浜の熱気の中でみんな踊り続けていた。

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 後日、地元に詳しい知り合いにアジの大群が海面にたくさんいた話をすると、その日、江ノ島あたりではそのアジの大群を追って珍しくサメが入ってきていたという。ぼくがいつもいる湘南の浜と、江ノ島は距離にして4、5キロほどしか離れていない。



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2010年8月10日火曜日

2400年前の世界を感じる――弥生前期から続いている足跡

もうすぐ週末。今週こそは、最近、仕事で休みがちな武術の稽古に行って、しっかり原稿を執筆して、月曜日には完璧な原稿をきっちり入稿しよう……そう思っていた。しかし、ミッションは突然、深夜にやってきた。

奈良県で2400年前の弥生人の足跡や狩猟、暮らしの痕跡が発見されたというのだ。他の仕事をやりくりして、原稿をものすごいスピードで仕上げて、金曜日には東京駅から新幹線に乗って奈良に行くこととなった。今回は、ぼくの仕事のスピードこそ「光」号と号したいくらいのスピードだった。


現場は奈良県御所(ごせ)市。ぼくが持っているお気に入りの勾玉(まがたま)も確かこのあたりで出土したはず。土地柄、出土品は非常に多く見られる。いまだに解明されていない遺跡も出土したりする。


この地方では、古代の先住民が暮らしていたという言い伝えや痕跡も多い。縄文時代から弥生時代に移行するときに、大陸から渡ってきた人たちと縄張り争いがあったのかもしれない。


彼らは土蜘蛛(つちぐも)や葛(くず)と呼ばれる民族だった。いにしえの古文書によると、背が低く、がっちりとした体格で、手足が長い身体的特徴を持ち、穴の中に暮らしていたという。これは、そのまま縄文人にもあてはまる。また、土蜘蛛や葛は、アイヌやエミシなどのように、また別の人種なのかもしれない。彼らはみな、時の権力や朝廷に追われ、生活の拠点を移したりそのまま滅ぼされていった。

 自然界や動植物、世界そのものと調和することを忘れてしまった、現代を生きるぼくたちのコンビニエンスな価値観もそうだが、人同士が滅ぼし合う姿はなんとも悲しい。それも、おそらくは、お互いに自分の、あるいは自分の親兄弟や部族の繁栄を願ってのことだったのだ。ともに生きる道を選べなかったのかとも思う。

今年は、710年(和銅3年)に藤原京から平城京へ遷都されたことを受け「平城遷都1300年祭」として奈良で大々的にキャンペーンをやっているのはご存じの通り。不思議なスタイルのキャンペーンキャラクター「せんとくん」が描かれた団扇を、タクシーの運転手が汗でTシャツを肌に貼りつかせているぼくに、気の毒そうな顔で渡してくれた。


奈良出身者の話によれば、この地では古墳など当たり前のように暮らしに溶け込んでいるという。そこここに見えるこんもりとした小山は、たいてい古墳であるとのこと。この地方では、古墳は「御陵(ごりょう)さん」と、親しみと畏敬の念を持って呼ばれている。子どもの頃は、いくら古墳に入ったり、登りたくても「決して行ってはいけない」と、どこの家でも親から戒められていたそうだ。それはそうだろう。どこの国や部族でもお墓で遊んではいけないのだ。


その場所は、低い山波に囲まれ、平坦で開けた場所が続くこのあたり特有の盆地の特徴をよく表していた。山から川筋が伸びており、太古から湿潤な地形だったことが分かる。近くには大小の古墳や神社をはじめ、有名なヤマトタケル白鳥陵や葛城一言主神社などもある。


現場はすでに、橿原(かしはら)考古学研究所によって、痕跡に白いマーキングが施されて見やすく整理されていた。広々とした遺跡の端に立って見渡すと、2400年前の水田と森を一望することができた。

今回、見つかったのは、森林3千平方メートルと、水田1700平方メートル。洪水による、急激な土砂の堆積によって厚さ1・5メートルほどが埋まって、当時のまま閉じ込められた状態になり、埋没時の状況がそのまま残った。


つまり、2400年前の人たちが、狩猟や木材の伐採、植物の採集を行って暮らす森と、そこに隣接する当時の水田が、そのまま2010年の現代に姿をあらわしたということなのだ。


「田んぼ」は、現代の区画よりも小さい。およそ1坪(約180センチ×約180センチ)ほど。そのほかの形状は、現代の水田となんら変わっているところはないように見える。


水路と、そこにつづく通路に当時のまま、足跡が残っている。歩幅や足の開き方、歩調などから、水田を急ぐでもなく通常の速度で目的を持って移動している、身長130センチ~150センチほどの小柄な男性、あるいは女性であることがわかる。泥濘(ぬかるみ)を歩いたにしては沈み方が少なく、あまり体重は重くなかったように思える。特にマーキングはされていなかったが、そのほかにも2人ほどの足跡をぼくは見つけた。

田んぼから、幅2メートル、深さ60センチの水路を隔てた、かつての豊かな「森」では、何人もの人の足跡がいろんなサイズで残されており、さらにはイノシシだと思われる動物の足跡もつけられている。中には木の周りを回るように、つけられている人の足跡も残っている。これは、伐採、あるいは植物、木の実の採取を目的としたものだったのかもしれない。


森は原生林でなく2次林で、人の手によるものだという。ヤマグワ44本。ツバキ39本。カエデ21本。イヌガヤ12本。コクサギ10本。オニグルミ、カシ、エノキ各7本など22種以上あり、食用の木の実が稔る樹種が多い。人為的に割られたクルミの殻も見つかっている。縄文から続くこの頃も、当然ながら果樹の栽培を行っていたのだ。


また、驚くことにトチノキやカエデなどには伐採痕がはっきりと残っており、石斧(せきふ)が削り取ったであろう刃の角度までをはっきりと見ることができた。まるで「先週、家の柱に使うからちょっと伐ったんだよ」とでも言われそうな感じで切り株の痕は生々しくそこにあった。

また、太いエノキを火で焦がしながら石斧で伐採した痕跡も残っていた。火で焼くことによって木の強度を弱めて伐っていったと思われる。どの木も80センチほどの高さで伐採されていて、腰の高さで一番力が伝わる場所に石斧をふるって伐ったことが分かる。


周辺でも、弥生土器片やサヌカイト片(石器の破片)、人の足跡なども見つかり、木陰で活動していたらしい様子もうかがえる。ぼくが見た土器片にははっきりと縄文式らしき縄目が刻まれていた。また、地域間の交流があったことも土器の形状から分かった。中部地方からもたらされた搬入土器と呼ばれる土器も見つかっている。


砕かれた犬科動物の獣骨や石鏃(せきぞく=石製のヤジリ)も発見されており、ここで狩猟が行われていたことが分かる。タヌキなどを獲って、木立の中で火を起こして焼き、熱く焼けたタヌキ肉などを食べていたのかもしれないと思うとワクワクしてくる。


ぼくは、遠く北米大陸に暮らしたネイティブアメリカンの狩猟採集技術を学んでいる。その技術のおかげで、足跡の主がおよそどのようなことをしたのかが、少し理解することが可能だ。今のぼくには、ほんの少ししか分からないが、師匠たちは彼らのそのときの気持ちや置かれている状況、その日の朝食や痕跡の主の顔つき、服装から食べ物の好みまで手に取るように分かるのだ。


おかげでぼくにも、ここで暮らした人たちに少しだけふれることができた。裸足、あるいは薄い履き物を履いた人が、木の周りを何回も、あるいは何人かで回りながら歩いた様子……。非常に洗練された鋭利な石斧を使って、太い木を伐採していたこと……。田んぼの中を行き来した姿……。小さく研ぎ澄まされた石のヤジリをつけた弓でイノシシやタヌキを狩ること……。一瞬、当時のままの彼らの姿が炎天で揺らぐ陽炎の彼方に見えたような気がした。

こうして、自分の生まれ育った土地で、遙かな昔に祖先が暮らした様子を、痕跡を見て理解することができるのはとても大きなことではないか思う。一説によると、縄文時代の祖先は、地続きだった遠くアメリカ大陸にまで歩いて渡り、彼の地に暮らしたとも言う。


世界中の先住民の技術は、細かなディテールの違いこそあれ、とてもよく似ている。アフリカや南米に暮らす先住民、ナナイ、アイヌやニブヒなどのアジアの民、そしてポリネシアやサモア、ハワイなどの海洋民族を見ても、自然を理解し、共に生きる方法を探り、実践しているように思える。それは、人が生きていく時に、自分以外の存在とコミュニケートせずには存在できないということが本質だからなのかもしれない。


もし、遺跡を解明しようとする考古学者の助けや、インディアンの技をぼくが知らなければ、そこはただの原っぱや現代の田んぼにしか見えず、現場に行ったとしても、痕跡も見いだせずに、何も感じずに通り過ぎるだけなのかもしれないと思うとぞっとする。


ぼくの学んでいる技術の根幹にあるものは、コミュニケーションだとぼくは理解している。風や雲の動きで天候を判じたり、鳥や獣の動きから遠くで起こっている事象を見いだし、星の位置から、自分の居場所を知って旅をする。足跡一つから、動物や人の気持ちをくみ取り、理解しようとする。そして、共に生きる道を探っていく生き方……。


縄文期から弥生期にさしかかる遺跡を歩きながら「自分たちは、どこかで道を間違えて歩いてきてしまったのかもしれない」とぼくは思った。すぐ隣にいる人にもメールでないと意志が伝えられない。楽しみはPCやゲーム。ヘッドフォンで聞く音楽。食事は透明なラップにくるまれたパック入りの便利なもの……。


便利なものを決して悪いとぼくは思わない。だけど、それを用いる人の意識がどんなことにつながっているのかと思う。自分の利益が最優先。意のままにならなければ、相手を傷つける。そして、他民族を滅ぼさんと争う……。


しかし、今から進路を変更することも可能なのだ。もう、土蜘蛛や葛の民が戻ってくることはないけれど、すぐ隣にいる人や、自然との共生を意識し、皆とコミュニケートしながら、共に生きる方法があるはずではないかと……。蝉時雨がふりしきる炎天の奈良でぼくは立ちつくしていた。








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2010年7月22日木曜日

瓶の中の小さな宇宙――夏ごはん フィリピン セブ島発「酢っぱ辛いお酢」!

毎日、暑いですね。みなさまいかがお過ごしでしょうか。暑くて少し体調を崩しつつも、なぜか食欲は少しも落ちないebimaruです。先日は、近所の方からイサキを釣ってきたというのでいただき、さっそく自分でさばいて一夜干しを作りました。それを、焼き網で炙ったものをつつきながら、よく冷やした冷酒を飲むのを想像すると昼間でもたまりません……。と、今回はイサキの一夜干しの話ではないのです。それは、また次回に。



暑いフィリピン・セブ島でローカルのみなさんに愛されているという、調味酢をebimaru流にアレンジしたものを紹介します。つくり方はカンタン。材料を酢に漬け込み一晩以上置くだけ。これを料理にかけると、食欲がモリモリと湧いてくる! これで、この夏はおいしい夏ごはんをたくさん食べて元気出しましょうね。


沖縄のコーレーグースにも通じる調味料で、セブ島の人はけっこうガンガン使っています。ぜひお試しあれ!




材料


酢 1カップ200mlくらい


ぼくは家にあった京都の純米富士酢と、同じく京都の三條大橋村山造酢の千鳥酢を合わせて使った。酢の種類はお好みでどうぞ。黒酢とかアップルビネガーとかもいいかも。

唐辛子あるいは鷹の爪 生でも乾燥でも。5粒くらい。


ショウガ 2~3かけ。適宜。


ニンニク 2~3かけ。適宜。


ローレル 2~3枚。適宜。


だし昆布 1かけ。5センチくらい。


煮干し 2~3かけ。適宜。


鰹節 適宜。


1
ニンニクとショウガを、みじん切りにする。


2
唐辛子の種をとって漬けるとやさしいお味に。種をそのまま入れちゃうとかな~り辛くなります。さらに辛くしたいときは、唐辛子に切れ目を入れて。


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ビンに材料全てを入れ、1日以上置く。しばらくすると、あら不思議、なんとエクセレントなお味に変化しているではアリマセンカ! 


酢は生き物なので、漬け込んでおくと、だんだん中の材料の味が浸みて変化していきます。瓶の中で小さな宇宙ができあがるわけですね。それを、美味しくいただいちゃうわけです。

肉料理、魚料理、中華、揚げ物、酢の物、ドレッシングなど、何に合わせてもおいしくいただけます。

冷蔵庫で保存し、使い切ったら、酢を足していけば数ヶ月は使えます。









魔法の酢