2013年7月23日火曜日

蚊遣り――六月の比 あやしき家に夕顔の白く見えて 蚊遣火ふすぶるも あはれなり


夕方、あまりの暑さに窓を開け、網戸にしておく。

山から吹きおろし、川や田んぼを渡った涼風が、河鹿蛙(カジカガエル)の声とともに部屋の中に入ってくる。涼しい。

気密性の低い木造の家に住んでいるからか、ときどき蚊も風とともにふわふわと入ってくる。山の中では基本的に虫よけなしか、あまりに虫さんの攻撃が激しいときは天然成分のものを使っているが、家ではそうも言っていられない……。そういうとき、活躍してくれるのが、蚊取り線香だ。

子どもの頃、喉があまり丈夫ではないのか、蚊取り線香が苦手だった。特に「電子蚊取り」というのがだめで、近くにあるとよく咳き込んだ。

最近は、いろんなもののおかげで丈夫になったようで、蚊取り線香の煙どころか、お香まで楽しんで、煙のすぐそばでビールを飲んだりしている。

現在のような蚊取り線香ができたのは、明治時代だ。古代、奈良、平安、江戸期を通して大正時代くらいまでは、蚊遣り火(かやりび)といって、ヨモギ、杉、松、カヤの葉で煙を焚き、蚊を追いやるのは、夏の風物詩であった。

「徒然草」にも記述がある。

六月(みなづき)の頃、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火(かやりび)ふすぶるもあはれなり――第十九段 折節の移りかはるこそ

六月ごろ(新暦6月下旬から8月上旬ごろ)には、貧しい家に夕顔が白く咲き、蚊遣り火がくすぶっている風景がしみじみとしている、という意味だ。古代から先人たちは、蚊に悩まされていたのがわかる。

蚊取り線香を焚く道具として、蚊遣り器がある。すぐに思い出すのは豚の形をした例の「蚊取り豚」だろう。日本の夏をイメージさせる道具として重要なポジションにあるといえるかもしれない。

子どもの頃、祖父母の茅葺き家の縁側で蚊遣り豚を側に置いて、スイカを食べたおぼえがある。

いま、ぼくが住んでいる家は、残念なことに、蚊遣り豚が似合うような風情ある家ではないので、南部鉄器のものを使っている。蚊遣り器から立ち昇る煙に蚊がやってこないのも嬉しいが、こういうものが一つあるだけで風情が感じられるのが何よりも楽しい。

 

 

 

 

2013年6月6日木曜日

野原で木苺摘み 蚕起食桑――かいこ おきて くわをはむ 


田植えで忙しい田んぼの脇をそっとすり抜けて、ぼくの遊び場である、いつもの山に向かった。

狙いは、木苺だ。
陽当たりのいい斜面に、赤い宝石が緑の葉から顔をのぞかせている。
3日ほど前に見たときには小さかった実も今日は大きくなって、日差しに輝いている。

親指の先ほどのサイズの苺の実に、ほほえみかけられているかのようだ。

枇杷(びわ)の木の下で摘んでいたら、花の蜜を吸う雀蛾(スズメガ)の仲間、蜂雀(ホウジャク)の幼虫さんが笊(ざる)の中に落ちてきた。まだ、丸まっても木苺の実くらいの大きさなので若齢幼虫(じゃくれいようちゅう)だ。笊の中で、隣り合った苺のふりをしているようで思わず笑ってしまった。

斜面から下の野原に降りようと思って目をやると、30センチほどの金茶色をした細長い生き物が、うねうねと草を揺らしながら、分け行く姿が目に入った。急いでいる感じはしないけど、何か目的があるような感じで、ゆったりと、しかし決然とした足取りで草の波を泳ぐように視界から消えていった。胴体が尺取虫みたいに湾曲している。ふさふさとした尻尾に長い身体。鼬(イタチ)さんの奥さんの方だな。

野原で摘んでいたら、1センチくらいの蟷螂(かまきり)の幼虫が群れて苺の近くで遊んでいた。卵が孵(かえ)ったようだ。近くにある苺の実に手を伸ばすと、小さな鎌をせいいっぱい両手で振り上げる。ごめん、ゴメン、君の場所だったんだね。

子どもの頃のこの時期、野原やあぜ道で遊んでいるときに、その辺に生えている桑の実を食べておやつにした。たくさん食べて、何食わぬ顔で家にもどり、そしらぬ顔で母にただいまと言うと、ぼくの顔を見て母は即座に桑の実を食べてきたね、と笑われたものである。おかしいと思って鏡を見ると、口の周りも舌も桑の実の色で紫色に染まっていた。

5月の中旬から下旬の時期を、昔の人は「木の葉採り月」などと呼んでいた。蚕の餌である、桑の葉を摘む時期だったのだ。

養蚕は、戦前までの日本で、とても盛んな産業のひとつだった。江戸時代に建てられた祖父母の暮らした茅葺(かやぶき)の家には、風通しを調節できる、広く大きな屋根裏部屋のような空間があった。ここで昔は蚕を飼っていたと、子どもの頃に母に聞いた覚えがある。夜、家人が寝静まると、上階の蚕たちが桑の葉を食べ進む音が小さく聞こえたそうだ。母によれば、蚕を上階に置くのは、大切にしている気持ちのあらわれでもあると言う。昔の人は、風や日光、季節の移ろいなどを細やかに計算して、大事にだいじに、そして丁寧に蚕を育てていた。

茅葺の家はなくなり、蚕もいなくなってしまったけど、相変わらずにぼくは、子どもの頃のように、陽の光の下で虫や動物と一緒に、木の実を摘んで食べたりしている。ときどき、祖父母はどんな感じで桑の葉を摘んだり、山で過ごしたのだろうと考えたりしながら。


 

 

2013年4月15日月曜日

春の鉄瓶 LIVELY SPRING


すっかり春だ。
木々の芽は萌え、水はぬるんでいる。
小さな虫たちが羽化し、水際を飛び始めた。
それを追うように、夕方になるとどこからか蝙蝠の黒い小さな翼がひらひらと舞い上がる。
周りに渓や田んぼが多いうちの方では、少し前から蛙も鳴きはじめた。

春の訪れはうれしい。

すべての生きものが生を謳歌するさまが、心地よいカンタータや神楽の響きのように共鳴している。
 
豊かな森と大地に暮らした、私たちの先祖は、きっと昔、あたたかな日差しの春を迎えて、こう言ったことだろう。

新たな季節が巡ってきた。今回も自分たちは、厳しい冬を乗り越えることができ、新しい芽吹きの季節を、喜びとともに迎えることができた。さあ、ふたたび歩み始めよう……。
 
寒い冬の時期、うちでは達磨ストーブが欠かせない。上には鉄瓶がちょこんと載っている。

もちろん、いつでもしゅんしゅんと白い水蒸気を口から噴き出して、乾燥した部屋にうるおいをもたらしてくれている。

この古い鉄瓶は、ストーブと同時に以前、手に入れたものだ。おそらく、戦前のものだと思われる、枯れた鉄地が何ともいえずあたたかみがある。鉄ではあるが、有機的なぬくもりすら感じさせる。

蓋には松の実の意匠をあしらったつまみが取っ手になっていて、片方の側には竹林、もう片方には梅の図があしらってある。そう松竹梅だ。吉祥をあらわすとされる、縁起の良い図柄だ。

茶道をやっている友人に、古い鉄瓶を手に入れた、と話したら、野点(のだて)で使うものではないか? と言われたことがある。そうか、囲炉裏や火鉢、達磨ストーブが定位置かと思っていたけど、野点なんて、すばらしい使い方があったんだ。

こんど、この鉄瓶をリュックに入れて原っぱに持っていこう。少し重いけど、きっと美味しいお茶を淹れられるにちがいない。

野草のお茶。スギナ、オオバコ、タンポポ、オニタビラコ……。カタバミはまだ早いか。ノビルはお茶にはあんまりかな。

だけど、まだまだたくさんある。春の野草でどんなお茶ができるかな。




 

2013年3月11日月曜日

土瓶? 急須? いいえ…… ARABIA Ulla Procope GA Tea pot


丸みを帯びたフォルム、籐で巻かれた持ち手……、この土瓶、いや急須、けっこう気に入っているものだ。ぼくは、紅茶を淹れるときによく使う。丸みを帯びているので、茶葉がポットの中で、よく回転してくれる。スクエアな形状だとこうはいかない。

なかなか、かわいいなあと思って眺めつつお茶を飲む。そして何より使い出があるのが自分にはうれしい。ものは眺めているだけでなく使ってこそ価値がある。ぼくはそう考える。

実はこれ、土瓶や急須ではない。
れっきとしたティーポットなのだ。

しかも、フィンランドの名だたる女性デザイナー、Ulla Procope(ウラ・プロコッペ)により1955年にデザインされたもの。いまから58年前、半世紀以上前のこと。

ウラ・プロコッペは、1948年から1968年までフィンランドの陶器ブランド、アラビア社で専属デザイナーをしていた。このポットはその時にデザインしたものだ。ウラ・プロコッペは、カイ・フランクに次ぐトップデザイナーとして多くの作品を手がけている。

親日家としてもよく知られているウラ・プロコッペは、何度も訪日している。

ここから先は、資料が手元にないので、もしかすると記憶ちがいかもしれないが、ウラ・プロコッペは来日した際に、各地の窯元を訪れ、陶器の見学をしていたということだ。そんなおりに、農家などの土瓶や急須に出会ったのではないだろうか。その感覚を元に、彼女はフィンランドに帰国後、このポットをデザインしたのではないだろうか。

 ウラ・プロコッペの作品は、きれいな色づかいや美しいものも多いが、土の持つやさしさ、素朴な風合いを活かしたものも多く、繊細でなおかつ重厚な感じの作品も多い。

 最初は、そんなことはまったく知らず、「この、でっかい急須なかなかいいよなあ」という感じで眺めていたものだ。だけど、「素性」が分かってからは、なにか遠いところで出会った親戚のように懐かしい感じがしている。住んでいる環境や、言葉は違えど、本当のこと、本当のものはひとつだということだろうか。

 

 

 

2013年2月13日水曜日

オールドパイレックス フレームウェア ティーポット Old Pyrex Flameware Teapot 6CUP


お茶が好きでよく飲む。
緑茶、焙じ茶、紅茶、枇杷茶、杉菜茶、ハーブティー……。
そんなときに、よく使うのがこの古いパイレックスのティーポットだ。


光に透けると青みがかった昔の硝子がとてもきれいだ。
飲み物もなんとなく美味しそうに見えるんじゃないだろうか。
どれくらい使っているだろう。10年以上は経つか? 15年くらいか?

ぼくは、子どもの頃からパイレックスのものが好きで、うちにはよくある。
「耐熱ガラス」というところが、何かスゲーなカッコイーという感じで気になり出したのがはじまりだったような……。

うちではあまりやらないけど、このポットも、もちろん直火にかけることができる。
コーヒー用のガラス製パーコレーター、ボウルセット、ガラスのバターケースなどもうちにある。
他にも、ガラスのスキレットなんかがあるから、心くすぐられてしまう。
まあ、自分だけかもしれないけど。

ぼくは、日本茶のときも、紅茶などのときもよくこのポットを使う。
何杯もおかわりして飲みたい自分にとって、
一度に6カップも淹れられることができるので便利なのだ。

このティーポットは195279年までの間にアメリカのコーニング社で作られたもの。
直火にかけることができるこのシリーズ「フレームウェア」は1930年代から販売が開始されたようだ。当時は薪のストーブやオーブンで使われたのだろう。

ティーポットは9杯用、4杯用もある。
うちにいるこの6杯用のヒトは、何年に造られたものだろうか。


・オールドパイレックス フレームウェア ティーポット  84466杯用:容量1200cc) 
Old Pyrex Flameware Teapot  6CUP

2013年1月31日木曜日

ブラウニーの小さな道を歩く Brownie


ブラウニーが好きだ。
甘いものが好きでよく食べる。

お酒も大好きなのだが、和菓子やケーキ、パフェなんかもデザートとしてよく食べる。コーヒーや紅茶も好きなので、一緒に食べるのだけど、どうせなら自分で作ってしまおうと思い、あるとき作り始めた。書いていて気づいた。ぼくはかなり食いしん坊なのだ。

 

ぼくが目指しているのは、あるお店のチョコレートケーキ。
子どもの頃から、そのお店のチョコレートケーキが大好きでよく食べていた。
食感がしっとりしていて、チョコレートの味が濃厚で、甘すぎない……。

電子レンジが好きではないわが家にはキッチンに現代のオーブンがない。昔、実家ではよく母がガスのオーブンでお菓子を焼いてくれた思い出がある。

うちでは炭火を使ったダッチオーブンで焼き上げる。
ブラウニーの作り方はシンプルだ。レシピの詳細はほかの方にお任せすることにしようと思うけど。

ざっと書くと、バターを溶かし、砂糖を加えてから、さらに卵を加えて、小麦粉とココアを一気にふるってさっくりと混ぜる。そして、ぼくはドライフィグ(乾燥イチジク)をラム酒に漬けたものを細かくして入れている。ほかにもナッツ類やレーズン、砕いたチョコレートを入れることもある。

これを型に流し込んで、180度のダッチオーブンで焼く。ダッチオーブンはキッチン用のものなので、上火を使うようになっていない。そのため、中華鍋用の五徳を上蓋に載せ、そこへ真っ赤に焼いた炭を置く。この中でしばらく焼いて出来上がりだ。

ぼくはよく、キッチンで料理をするときにこうやって炭火を使うのだけど、温度管理が少々面倒なことを除くとかなり楽しい。特に冬場は暖かくて気持ちがいいというのもある。遠赤外線効果が料理をしている自分にもあられるわけだ。夜など試しにキッチンの照明を落とすと、小さな赤い火が炭の上で踊るのが見えて嬉しくなる。

ブラウニーづくりは、温度や焼き時間、タネを混ぜる順番を替えたり、試行錯誤を繰り返し、最近やっと自分の目指す味に近づいてきた気がする。

葉山に住んでいた頃から好きな、湘南のコーヒー屋さんから分けてもらっているコーヒーを、ケメックスで淹れてブラウニーと一緒に食べたりする。逗子のレッドロブスターで食べたデザートのチョコレートもコーヒーとよく合っていて美味しかったな、などと思い出したりする。

気に入っているファイアーキングの小皿にのせて、バニラアイスクリームを添えて。コーヒーと一緒に一口食べる。うーん。しっとりとして濃厚なチョコレートに、ラム酒に漬けた無花果の味と食感がポイントになって、なかなかいいハーモニーだ。大人な感じといおうか。などと、ひとりごちたりする。

今回は、けっこう美味しくできた、と思うけど、しかし微妙に何か違うような気もしたりする。ピッタリではないと言おうか……。うーむ、小さいながらも修業の道のりはまだまだ遠いのかもしれない。

 

 

2013年1月28日月曜日

カッテージチーズの醍醐味?――醍醐ではなく蘇 cottage cheese


ときどきチーズが食べたくなると自分で作る。
かんたんなカッテージチーズだ。
小鍋で牛乳を温めて適温にし、そこへレモンの絞り汁を入れる。
少しすると凝固し始めるので、ゆっくりとかき混ぜる。
しばらく待って分離したものを布で濾す。
濾すと、乳清(液体)とチーズの部分に分かれる。
乳清(ホエー)は別の使い道があるので分けてとっておく。
 
できたカッテージチーズは、パンに塗って食べたり果物とあえたり料理に普通のチーズとして入れたり、使い方はいろいろある。

 
以前、イラストレーターの大橋歩さんが、缶詰の桃とあわせて食べると、ケーキよりも美味しいという話を読み、とても美味しそうだと思った。大橋さんは、美味しいので来客にもよく出されているそうだ。

古代、8世紀から10世紀くらいの日本で作られていた乳製品に蘇(そ)というものがある。
淡白な味で、カッテージチーズのような味だったそう。主な産地は摂津国。今の大阪だ。

ちなみに、蘇を熟成させて作るのが醍醐(だいご)。これは高級チーズのようなもの。仏教の経典にも醍醐は記されている。「最上級の味」と言う意味である醍醐味(だいごみ)の語源になっている。

乳清は、とても栄養価が高い。プロテインの材料にもなっているくらいだ。

カッテージチーズを作るときにできた乳清は、夏なら冷やして、冷たい牛乳と合わせて蜂蜜やメープルシロップを入れて乳清飲料として飲んだりすると美味しい。

でも実は、ぼくは冬でもビールと割って飲むのが好きだ。

乳清を入れると、普通のビールが、ベルギービールやパナシェのように甘酸っぱいビールになる。これが美味しい。まさに秘密の醍醐味だ。

醍醐ではないけど、冬の摂津で蘇をつくり食す……。
そうだ。今度はぼくも果物の砂糖煮に添えてお客さんに出してみよう。
春になって暖かくなったら誰か遊びに来てくれるかな。


*写真のカッテージチーズにのせているのは、最高に熟した柿。ねっとりとした甘さに爽やかなチーズがとても合います。紅茶やワインとどうぞ、という感じです。