2013年6月6日木曜日

野原で木苺摘み 蚕起食桑――かいこ おきて くわをはむ 


田植えで忙しい田んぼの脇をそっとすり抜けて、ぼくの遊び場である、いつもの山に向かった。

狙いは、木苺だ。
陽当たりのいい斜面に、赤い宝石が緑の葉から顔をのぞかせている。
3日ほど前に見たときには小さかった実も今日は大きくなって、日差しに輝いている。

親指の先ほどのサイズの苺の実に、ほほえみかけられているかのようだ。

枇杷(びわ)の木の下で摘んでいたら、花の蜜を吸う雀蛾(スズメガ)の仲間、蜂雀(ホウジャク)の幼虫さんが笊(ざる)の中に落ちてきた。まだ、丸まっても木苺の実くらいの大きさなので若齢幼虫(じゃくれいようちゅう)だ。笊の中で、隣り合った苺のふりをしているようで思わず笑ってしまった。

斜面から下の野原に降りようと思って目をやると、30センチほどの金茶色をした細長い生き物が、うねうねと草を揺らしながら、分け行く姿が目に入った。急いでいる感じはしないけど、何か目的があるような感じで、ゆったりと、しかし決然とした足取りで草の波を泳ぐように視界から消えていった。胴体が尺取虫みたいに湾曲している。ふさふさとした尻尾に長い身体。鼬(イタチ)さんの奥さんの方だな。

野原で摘んでいたら、1センチくらいの蟷螂(かまきり)の幼虫が群れて苺の近くで遊んでいた。卵が孵(かえ)ったようだ。近くにある苺の実に手を伸ばすと、小さな鎌をせいいっぱい両手で振り上げる。ごめん、ゴメン、君の場所だったんだね。

子どもの頃のこの時期、野原やあぜ道で遊んでいるときに、その辺に生えている桑の実を食べておやつにした。たくさん食べて、何食わぬ顔で家にもどり、そしらぬ顔で母にただいまと言うと、ぼくの顔を見て母は即座に桑の実を食べてきたね、と笑われたものである。おかしいと思って鏡を見ると、口の周りも舌も桑の実の色で紫色に染まっていた。

5月の中旬から下旬の時期を、昔の人は「木の葉採り月」などと呼んでいた。蚕の餌である、桑の葉を摘む時期だったのだ。

養蚕は、戦前までの日本で、とても盛んな産業のひとつだった。江戸時代に建てられた祖父母の暮らした茅葺(かやぶき)の家には、風通しを調節できる、広く大きな屋根裏部屋のような空間があった。ここで昔は蚕を飼っていたと、子どもの頃に母に聞いた覚えがある。夜、家人が寝静まると、上階の蚕たちが桑の葉を食べ進む音が小さく聞こえたそうだ。母によれば、蚕を上階に置くのは、大切にしている気持ちのあらわれでもあると言う。昔の人は、風や日光、季節の移ろいなどを細やかに計算して、大事にだいじに、そして丁寧に蚕を育てていた。

茅葺の家はなくなり、蚕もいなくなってしまったけど、相変わらずにぼくは、子どもの頃のように、陽の光の下で虫や動物と一緒に、木の実を摘んで食べたりしている。ときどき、祖父母はどんな感じで桑の葉を摘んだり、山で過ごしたのだろうと考えたりしながら。