2013年7月23日火曜日

蚊遣り――六月の比 あやしき家に夕顔の白く見えて 蚊遣火ふすぶるも あはれなり


夕方、あまりの暑さに窓を開け、網戸にしておく。

山から吹きおろし、川や田んぼを渡った涼風が、河鹿蛙(カジカガエル)の声とともに部屋の中に入ってくる。涼しい。

気密性の低い木造の家に住んでいるからか、ときどき蚊も風とともにふわふわと入ってくる。山の中では基本的に虫よけなしか、あまりに虫さんの攻撃が激しいときは天然成分のものを使っているが、家ではそうも言っていられない……。そういうとき、活躍してくれるのが、蚊取り線香だ。

子どもの頃、喉があまり丈夫ではないのか、蚊取り線香が苦手だった。特に「電子蚊取り」というのがだめで、近くにあるとよく咳き込んだ。

最近は、いろんなもののおかげで丈夫になったようで、蚊取り線香の煙どころか、お香まで楽しんで、煙のすぐそばでビールを飲んだりしている。

現在のような蚊取り線香ができたのは、明治時代だ。古代、奈良、平安、江戸期を通して大正時代くらいまでは、蚊遣り火(かやりび)といって、ヨモギ、杉、松、カヤの葉で煙を焚き、蚊を追いやるのは、夏の風物詩であった。

「徒然草」にも記述がある。

六月(みなづき)の頃、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火(かやりび)ふすぶるもあはれなり――第十九段 折節の移りかはるこそ

六月ごろ(新暦6月下旬から8月上旬ごろ)には、貧しい家に夕顔が白く咲き、蚊遣り火がくすぶっている風景がしみじみとしている、という意味だ。古代から先人たちは、蚊に悩まされていたのがわかる。

蚊取り線香を焚く道具として、蚊遣り器がある。すぐに思い出すのは豚の形をした例の「蚊取り豚」だろう。日本の夏をイメージさせる道具として重要なポジションにあるといえるかもしれない。

子どもの頃、祖父母の茅葺き家の縁側で蚊遣り豚を側に置いて、スイカを食べたおぼえがある。

いま、ぼくが住んでいる家は、残念なことに、蚊遣り豚が似合うような風情ある家ではないので、南部鉄器のものを使っている。蚊遣り器から立ち昇る煙に蚊がやってこないのも嬉しいが、こういうものが一つあるだけで風情が感じられるのが何よりも楽しい。

 

 

 

 

2013年6月6日木曜日

野原で木苺摘み 蚕起食桑――かいこ おきて くわをはむ 


田植えで忙しい田んぼの脇をそっとすり抜けて、ぼくの遊び場である、いつもの山に向かった。

狙いは、木苺だ。
陽当たりのいい斜面に、赤い宝石が緑の葉から顔をのぞかせている。
3日ほど前に見たときには小さかった実も今日は大きくなって、日差しに輝いている。

親指の先ほどのサイズの苺の実に、ほほえみかけられているかのようだ。

枇杷(びわ)の木の下で摘んでいたら、花の蜜を吸う雀蛾(スズメガ)の仲間、蜂雀(ホウジャク)の幼虫さんが笊(ざる)の中に落ちてきた。まだ、丸まっても木苺の実くらいの大きさなので若齢幼虫(じゃくれいようちゅう)だ。笊の中で、隣り合った苺のふりをしているようで思わず笑ってしまった。

斜面から下の野原に降りようと思って目をやると、30センチほどの金茶色をした細長い生き物が、うねうねと草を揺らしながら、分け行く姿が目に入った。急いでいる感じはしないけど、何か目的があるような感じで、ゆったりと、しかし決然とした足取りで草の波を泳ぐように視界から消えていった。胴体が尺取虫みたいに湾曲している。ふさふさとした尻尾に長い身体。鼬(イタチ)さんの奥さんの方だな。

野原で摘んでいたら、1センチくらいの蟷螂(かまきり)の幼虫が群れて苺の近くで遊んでいた。卵が孵(かえ)ったようだ。近くにある苺の実に手を伸ばすと、小さな鎌をせいいっぱい両手で振り上げる。ごめん、ゴメン、君の場所だったんだね。

子どもの頃のこの時期、野原やあぜ道で遊んでいるときに、その辺に生えている桑の実を食べておやつにした。たくさん食べて、何食わぬ顔で家にもどり、そしらぬ顔で母にただいまと言うと、ぼくの顔を見て母は即座に桑の実を食べてきたね、と笑われたものである。おかしいと思って鏡を見ると、口の周りも舌も桑の実の色で紫色に染まっていた。

5月の中旬から下旬の時期を、昔の人は「木の葉採り月」などと呼んでいた。蚕の餌である、桑の葉を摘む時期だったのだ。

養蚕は、戦前までの日本で、とても盛んな産業のひとつだった。江戸時代に建てられた祖父母の暮らした茅葺(かやぶき)の家には、風通しを調節できる、広く大きな屋根裏部屋のような空間があった。ここで昔は蚕を飼っていたと、子どもの頃に母に聞いた覚えがある。夜、家人が寝静まると、上階の蚕たちが桑の葉を食べ進む音が小さく聞こえたそうだ。母によれば、蚕を上階に置くのは、大切にしている気持ちのあらわれでもあると言う。昔の人は、風や日光、季節の移ろいなどを細やかに計算して、大事にだいじに、そして丁寧に蚕を育てていた。

茅葺の家はなくなり、蚕もいなくなってしまったけど、相変わらずにぼくは、子どもの頃のように、陽の光の下で虫や動物と一緒に、木の実を摘んで食べたりしている。ときどき、祖父母はどんな感じで桑の葉を摘んだり、山で過ごしたのだろうと考えたりしながら。


 

 

2013年4月15日月曜日

春の鉄瓶 LIVELY SPRING


すっかり春だ。
木々の芽は萌え、水はぬるんでいる。
小さな虫たちが羽化し、水際を飛び始めた。
それを追うように、夕方になるとどこからか蝙蝠の黒い小さな翼がひらひらと舞い上がる。
周りに渓や田んぼが多いうちの方では、少し前から蛙も鳴きはじめた。

春の訪れはうれしい。

すべての生きものが生を謳歌するさまが、心地よいカンタータや神楽の響きのように共鳴している。
 
豊かな森と大地に暮らした、私たちの先祖は、きっと昔、あたたかな日差しの春を迎えて、こう言ったことだろう。

新たな季節が巡ってきた。今回も自分たちは、厳しい冬を乗り越えることができ、新しい芽吹きの季節を、喜びとともに迎えることができた。さあ、ふたたび歩み始めよう……。
 
寒い冬の時期、うちでは達磨ストーブが欠かせない。上には鉄瓶がちょこんと載っている。

もちろん、いつでもしゅんしゅんと白い水蒸気を口から噴き出して、乾燥した部屋にうるおいをもたらしてくれている。

この古い鉄瓶は、ストーブと同時に以前、手に入れたものだ。おそらく、戦前のものだと思われる、枯れた鉄地が何ともいえずあたたかみがある。鉄ではあるが、有機的なぬくもりすら感じさせる。

蓋には松の実の意匠をあしらったつまみが取っ手になっていて、片方の側には竹林、もう片方には梅の図があしらってある。そう松竹梅だ。吉祥をあらわすとされる、縁起の良い図柄だ。

茶道をやっている友人に、古い鉄瓶を手に入れた、と話したら、野点(のだて)で使うものではないか? と言われたことがある。そうか、囲炉裏や火鉢、達磨ストーブが定位置かと思っていたけど、野点なんて、すばらしい使い方があったんだ。

こんど、この鉄瓶をリュックに入れて原っぱに持っていこう。少し重いけど、きっと美味しいお茶を淹れられるにちがいない。

野草のお茶。スギナ、オオバコ、タンポポ、オニタビラコ……。カタバミはまだ早いか。ノビルはお茶にはあんまりかな。

だけど、まだまだたくさんある。春の野草でどんなお茶ができるかな。




 

2013年3月11日月曜日

土瓶? 急須? いいえ…… ARABIA Ulla Procope GA Tea pot


丸みを帯びたフォルム、籐で巻かれた持ち手……、この土瓶、いや急須、けっこう気に入っているものだ。ぼくは、紅茶を淹れるときによく使う。丸みを帯びているので、茶葉がポットの中で、よく回転してくれる。スクエアな形状だとこうはいかない。

なかなか、かわいいなあと思って眺めつつお茶を飲む。そして何より使い出があるのが自分にはうれしい。ものは眺めているだけでなく使ってこそ価値がある。ぼくはそう考える。

実はこれ、土瓶や急須ではない。
れっきとしたティーポットなのだ。

しかも、フィンランドの名だたる女性デザイナー、Ulla Procope(ウラ・プロコッペ)により1955年にデザインされたもの。いまから58年前、半世紀以上前のこと。

ウラ・プロコッペは、1948年から1968年までフィンランドの陶器ブランド、アラビア社で専属デザイナーをしていた。このポットはその時にデザインしたものだ。ウラ・プロコッペは、カイ・フランクに次ぐトップデザイナーとして多くの作品を手がけている。

親日家としてもよく知られているウラ・プロコッペは、何度も訪日している。

ここから先は、資料が手元にないので、もしかすると記憶ちがいかもしれないが、ウラ・プロコッペは来日した際に、各地の窯元を訪れ、陶器の見学をしていたということだ。そんなおりに、農家などの土瓶や急須に出会ったのではないだろうか。その感覚を元に、彼女はフィンランドに帰国後、このポットをデザインしたのではないだろうか。

 ウラ・プロコッペの作品は、きれいな色づかいや美しいものも多いが、土の持つやさしさ、素朴な風合いを活かしたものも多く、繊細でなおかつ重厚な感じの作品も多い。

 最初は、そんなことはまったく知らず、「この、でっかい急須なかなかいいよなあ」という感じで眺めていたものだ。だけど、「素性」が分かってからは、なにか遠いところで出会った親戚のように懐かしい感じがしている。住んでいる環境や、言葉は違えど、本当のこと、本当のものはひとつだということだろうか。

 

 

 

2013年2月13日水曜日

オールドパイレックス フレームウェア ティーポット Old Pyrex Flameware Teapot 6CUP


お茶が好きでよく飲む。
緑茶、焙じ茶、紅茶、枇杷茶、杉菜茶、ハーブティー……。
そんなときに、よく使うのがこの古いパイレックスのティーポットだ。


光に透けると青みがかった昔の硝子がとてもきれいだ。
飲み物もなんとなく美味しそうに見えるんじゃないだろうか。
どれくらい使っているだろう。10年以上は経つか? 15年くらいか?

ぼくは、子どもの頃からパイレックスのものが好きで、うちにはよくある。
「耐熱ガラス」というところが、何かスゲーなカッコイーという感じで気になり出したのがはじまりだったような……。

うちではあまりやらないけど、このポットも、もちろん直火にかけることができる。
コーヒー用のガラス製パーコレーター、ボウルセット、ガラスのバターケースなどもうちにある。
他にも、ガラスのスキレットなんかがあるから、心くすぐられてしまう。
まあ、自分だけかもしれないけど。

ぼくは、日本茶のときも、紅茶などのときもよくこのポットを使う。
何杯もおかわりして飲みたい自分にとって、
一度に6カップも淹れられることができるので便利なのだ。

このティーポットは195279年までの間にアメリカのコーニング社で作られたもの。
直火にかけることができるこのシリーズ「フレームウェア」は1930年代から販売が開始されたようだ。当時は薪のストーブやオーブンで使われたのだろう。

ティーポットは9杯用、4杯用もある。
うちにいるこの6杯用のヒトは、何年に造られたものだろうか。


・オールドパイレックス フレームウェア ティーポット  84466杯用:容量1200cc) 
Old Pyrex Flameware Teapot  6CUP

2013年1月31日木曜日

ブラウニーの小さな道を歩く Brownie


ブラウニーが好きだ。
甘いものが好きでよく食べる。

お酒も大好きなのだが、和菓子やケーキ、パフェなんかもデザートとしてよく食べる。コーヒーや紅茶も好きなので、一緒に食べるのだけど、どうせなら自分で作ってしまおうと思い、あるとき作り始めた。書いていて気づいた。ぼくはかなり食いしん坊なのだ。

 

ぼくが目指しているのは、あるお店のチョコレートケーキ。
子どもの頃から、そのお店のチョコレートケーキが大好きでよく食べていた。
食感がしっとりしていて、チョコレートの味が濃厚で、甘すぎない……。

電子レンジが好きではないわが家にはキッチンに現代のオーブンがない。昔、実家ではよく母がガスのオーブンでお菓子を焼いてくれた思い出がある。

うちでは炭火を使ったダッチオーブンで焼き上げる。
ブラウニーの作り方はシンプルだ。レシピの詳細はほかの方にお任せすることにしようと思うけど。

ざっと書くと、バターを溶かし、砂糖を加えてから、さらに卵を加えて、小麦粉とココアを一気にふるってさっくりと混ぜる。そして、ぼくはドライフィグ(乾燥イチジク)をラム酒に漬けたものを細かくして入れている。ほかにもナッツ類やレーズン、砕いたチョコレートを入れることもある。

これを型に流し込んで、180度のダッチオーブンで焼く。ダッチオーブンはキッチン用のものなので、上火を使うようになっていない。そのため、中華鍋用の五徳を上蓋に載せ、そこへ真っ赤に焼いた炭を置く。この中でしばらく焼いて出来上がりだ。

ぼくはよく、キッチンで料理をするときにこうやって炭火を使うのだけど、温度管理が少々面倒なことを除くとかなり楽しい。特に冬場は暖かくて気持ちがいいというのもある。遠赤外線効果が料理をしている自分にもあられるわけだ。夜など試しにキッチンの照明を落とすと、小さな赤い火が炭の上で踊るのが見えて嬉しくなる。

ブラウニーづくりは、温度や焼き時間、タネを混ぜる順番を替えたり、試行錯誤を繰り返し、最近やっと自分の目指す味に近づいてきた気がする。

葉山に住んでいた頃から好きな、湘南のコーヒー屋さんから分けてもらっているコーヒーを、ケメックスで淹れてブラウニーと一緒に食べたりする。逗子のレッドロブスターで食べたデザートのチョコレートもコーヒーとよく合っていて美味しかったな、などと思い出したりする。

気に入っているファイアーキングの小皿にのせて、バニラアイスクリームを添えて。コーヒーと一緒に一口食べる。うーん。しっとりとして濃厚なチョコレートに、ラム酒に漬けた無花果の味と食感がポイントになって、なかなかいいハーモニーだ。大人な感じといおうか。などと、ひとりごちたりする。

今回は、けっこう美味しくできた、と思うけど、しかし微妙に何か違うような気もしたりする。ピッタリではないと言おうか……。うーむ、小さいながらも修業の道のりはまだまだ遠いのかもしれない。

 

 

2013年1月28日月曜日

カッテージチーズの醍醐味?――醍醐ではなく蘇 cottage cheese


ときどきチーズが食べたくなると自分で作る。
かんたんなカッテージチーズだ。
小鍋で牛乳を温めて適温にし、そこへレモンの絞り汁を入れる。
少しすると凝固し始めるので、ゆっくりとかき混ぜる。
しばらく待って分離したものを布で濾す。
濾すと、乳清(液体)とチーズの部分に分かれる。
乳清(ホエー)は別の使い道があるので分けてとっておく。
 
できたカッテージチーズは、パンに塗って食べたり果物とあえたり料理に普通のチーズとして入れたり、使い方はいろいろある。

 
以前、イラストレーターの大橋歩さんが、缶詰の桃とあわせて食べると、ケーキよりも美味しいという話を読み、とても美味しそうだと思った。大橋さんは、美味しいので来客にもよく出されているそうだ。

古代、8世紀から10世紀くらいの日本で作られていた乳製品に蘇(そ)というものがある。
淡白な味で、カッテージチーズのような味だったそう。主な産地は摂津国。今の大阪だ。

ちなみに、蘇を熟成させて作るのが醍醐(だいご)。これは高級チーズのようなもの。仏教の経典にも醍醐は記されている。「最上級の味」と言う意味である醍醐味(だいごみ)の語源になっている。

乳清は、とても栄養価が高い。プロテインの材料にもなっているくらいだ。

カッテージチーズを作るときにできた乳清は、夏なら冷やして、冷たい牛乳と合わせて蜂蜜やメープルシロップを入れて乳清飲料として飲んだりすると美味しい。

でも実は、ぼくは冬でもビールと割って飲むのが好きだ。

乳清を入れると、普通のビールが、ベルギービールやパナシェのように甘酸っぱいビールになる。これが美味しい。まさに秘密の醍醐味だ。

醍醐ではないけど、冬の摂津で蘇をつくり食す……。
そうだ。今度はぼくも果物の砂糖煮に添えてお客さんに出してみよう。
春になって暖かくなったら誰か遊びに来てくれるかな。


*写真のカッテージチーズにのせているのは、最高に熟した柿。ねっとりとした甘さに爽やかなチーズがとても合います。紅茶やワインとどうぞ、という感じです。

2013年1月23日水曜日

桃栗三年柿八年枇杷十三年――枇杷のお茶 ビワ茶


オレンジ色が器の中に広がる。
ほんのりとやさしい里山の香りが立つ。
オレンジ色はまるで枇杷の実の色のようだ。
枇杷茶。

 
枇杷は古代に日本に持ち込まれたといわれている。そして、日本からイスラエルやブラジルに広まり、現在では品種改良されたものが世界各地で栽培されている。

以前、長崎の島原城に行った時のこと、城下に、かつて島原藩の下級武士が住んでいた、鉄砲町という武家屋敷が連なる場所を歩いた。

屋敷に入ってみると、あまり広くはないが、門構えがあり、飛び石が玄関まで続き、少し大ぶりの深い軒を構えて、土間へと続いている。農家や商家などではなく、小ぶりながら間違いなく武家の屋敷、格である。使わなくなった石臼を縁側の下に石段として用いている。畳の間からそこへ降り、小ぢんまりとした感じのよい庭を眺めた。庭には果樹が何本も植えられている。夏みかんなどの柑橘類に混ざって、そこに枇杷の木も植えられていた。
 
帰ってから、調べてみると、島原藩は自給用に果樹の栽培を奨励していたとあった。昔のこと、飢饉などにも対応できるように藩が緊急時の対策として講じたものかもしれないし、もしかすると医療用にも使われていたのかもしれない。島原は気候が温暖だが、火山地帯であるため土地がやせていると言われる。昔は、どこの地方でもそうだが、それは大変な苦労があったはずである。

家では、枇杷茶は通年飲むお茶として、毎日のように沸かして飲んでいる。今日も、先ほど散歩したときに近所で剪定(せんてい)してあったものを一袋いただいてきた。水洗いして、笊(ざる)に並べて日に干し、その後、ざく切りにして完成である。ものの本によると、葉の産毛を取り除くとあるが、ぼくは、そのままを全て使わせてもらう。

また、よく歩く山の小道に枇杷の大木が幾重にも重なって道を覆っている場所があり、常緑樹の葉がいつもとても気持ちの良い木陰をつくってくれている。その場所は、夏は日よけ、冬は雨よけになっている。

枇杷茶の効能はいろいろあり、中には癌に効くというのもあるけど、自分的には花粉症や、整腸作用、免疫力向上と、そのやさしい味に惹かれて飲んでいる。

古代から、里山で愛されてきた枇杷。オレンジ色の実の甘さを楽しみ、葉でつくったお茶を喫し、木陰や雨よけを使わせてもらう……。

桃栗三年柿八年枇杷十三年。「桃栗三年柿八年」の後に、こんな言葉が続いているのをご存じだろうか。実が成るのを表しているのはよく知られていると思うが、地方によって異なるらしく、梨や柚子(ゆず)、梅が出てくる地域もある。また、物事を為さんとするときには、相応の時間がかかるというのを表してもいる。

日々、どんどんいろいろなことがスピードアップし、変化を重ねていくが、本当に大切なことは、何も変わってはいないのかもしれないとも思う。そんなことを考えながら、このオレンジ色の枇杷のお茶を飲むと心がほっとする。私たちが目指しているのは、どこで何をすることなのだろうか。

 

2013年1月17日木曜日

野原を味わう――春のお茶 杉菜茶 スギナ茶


よく杉菜のお茶を飲む。

少し喉がいがらっぽいときや花粉症のときなど、年間を通してよく飲む飲み物の一つだ。

杉菜は、近所に生えているものをいただいてきて、水で洗ってから笊(ざる)で天日干ししてよく乾燥させたものを茶葉として使う。そのまま冷凍庫に保管すれば半年以上持つようだ。

杉菜茶の入れ方は簡単。小鍋に湯を沸かし、沸騰したら茶葉を入れる。コップ1杯(200㏄程)に対して5g程度の茶葉がいいようだ。5分ほど煮立たせてできあがり。

鍋で沸かすとだんだんと鮮やかな緑色が鍋に広がっていく。杉菜そのものが染料になって染み出したみたいなきれいな色だ。

口に含むと、素朴なほんのりと甘くやさしい味が口中に広がる。まるで春の野で深呼吸をしているような気がする。そして、いがらっぽい喉や、違和感を覚えていた花粉症の息がすっと楽になっていく……。
 

 

小さな頃、父に連れられて野原に散歩に行き、あらかじめ節を抜いてある杉菜を指して、どこが抜けているか? という遊びをよくしてもらった覚えがある。

日当たりと風通しがよい、人の手が入った明るい土地を好むようで、そのような場所によく群生しているのを見かける。畑にもよく生え、よほど生命力が強いらしく、農家では難防除雑草(なんぼうじょざっそう=生えるのを防ぐのが困難な雑草)として敬遠される場合もある。
 
杉菜は古来、生薬として使われており、問荊(もんけい)と命名されて、利尿作用や腎臓病の薬として使われている。腎臓を患った友人は、摘んできた杉菜を強いアルコール(スピリッツ)にしばらく漬けたもの、チンキを毎日服用して、病気を克服したそうだ。それは、ネイティブ・アメリカンに伝わるやり方だそう。杉菜は日本だけに生育しているわけではなく北半球に広く分布している。

ネイティブ・アメリカンが、古来よりトリックスターとして崇め、敬愛しているイヌ科の動物、コヨーテも環境適応能力が高く生命力が強い。人類が絶滅しても生き残るであろうと言われているゴキブリと比較されたりしているほど。

コヨーテは、北米では駆除の対象となっているが、倍増するかのような勢いで増えているという話を先日聞いた。まるで、動物版の杉菜みたいだ。

何度、駆除しても、駆除しても、瞬く間にどこかからやってきて元気な姿を見せる自然のものたち。そんな、自然のものを利益にそぐわないからと駆除しようとする人間たち……。どこか、現代に起こっているさまざまな問題に通じるように思うのは自分だけだろうか。

自分たちは、その強い生命力に触れて、強い力を分けてもらうことしかできないのかもしれないが……。

2013年1月11日金曜日

梅に鶯……でなく 枇杷に繍眼児――メジロ 繍眼児

家の周り一帯に枇杷の木がよく生えている。少し山の方へ行くと、枇杷の果樹畑もある。

昔から、このあたり一帯は枇杷の実の名産地だそう。剪定された葉つきの枝ごといただいたり、葉っぱだけ少し分けてもらったりしながら、お茶をつくったり、風呂に入れて枇杷湯を楽しんだりしている。葉だけ煎じても、枇杷の実のような橙色の美しい色になる。

枇杷は11月から2月、冬に花期を迎える。家の東側にも、大きな枇杷の木があり、白くかわいい花をつけている。

この木に、最近よくメジロたちがやってきて枇杷の花の蜜を吸っている。数羽で来たり、つがいで訪れたりと、メジロのカフェになっているようだ。ヒヨドリなんかも大声を上げてやってくる。


メジロはとても可愛らしい。きれいな緑色の身体で、名の通り、目の周りが白く、美しい声でさえずる。



古来、よく春の画題として取り上げられているが、鶯(ウグイス)と間違っているものがよくある。鶯よりもメジロの方がウグイス色のイメージに近いように思う。

われながら、あまりにも単純すぎると思うが、メジロを目にすると、繊細な緑の粉がほわほわと愛くるしい、鶯餅を連想してしまう。先日、黄身時雨を書いたばかりで恐縮だが、今度は鶯餅。考えうるのは食べ物ばかりか……。

メジロは、その声や姿を愛でるため、以前は飼育することも可能であったが、鳥獣保護法により、昨年から捕獲禁止になったが、密漁も行われているようだ。

自然のものを愛でるには、そのまま自然の中でか、あるいは「おいしい」姿をつくりだしてしまうほうがよいのかもしれない。
 
 
*メジロは「目白」とも書きますが、題では「目の周りに刺繍がある子」という連想がかわいらしく「繍眼児」にしました


2013年1月8日火曜日

小さなビロード――ヒメヒミズ 姫日不見


いつものように、森を歩いているときのこと、林道の端に黒い小さな毛皮の生きものがうずくまっているのが目に入った。

そっと近づいてみると、すでに死んでいるのが分かった。ヒメヒミズだった。

背中の上部に、少し傷跡があったことから、何らかのアクシデントで傷ついたか、動物に襲われたのだと判断した。

ヒメヒミズに初めて会ったのは、ずいぶん昔だ。地方の古い博物館だった。大昔に造られたギリシャ神殿のような大げさな大理石の建物の中、埃をかぶったガラスケースの標本として、朽ちたような状態のあまりよくない剥製が展示されていた。それでも、こんなに小さな哺乳類が近くにいるんだ、という軽い驚きとともにしばらく標本に見入っていたのを思い出した。

ヒメヒミズの仲間にヒミズがいる。この二種は原始的なモグラの仲間で、森林や落ち葉の下に暮らしている。モグラとは違い、トンネルを自分で掘ることはない。表土の上に降り積もる落ち葉の下にトンネルをつくり、その「道」を行き来している。34時間ごとに眠ったり起きたりしているらしい。食べ物は昆虫、クモ、ムカデの他に植物の根や穀類も好んでいる。

ビロードのような毛皮の光沢がとても美しい。家に持ち帰り、じっくりと観察させてもらった後に、もう一度、出会った場所まで行き、お礼を言ってヒメヒミズを埋めた。

ヒミズやヒメヒミズの死体は死後に臭いが強くなるためか、好んで食べる動物がいないと言われている。死んだものがよく、そのままの姿で山にころがっているそうだ。

でも、彼(彼女?)はきっと、土の下で、虫や菌類にしっかり分解されて、早くに土に還り山の一部に戻っていくことだろうと思う。

2013年1月7日月曜日

空飛ぶ黄身時雨――シマアカモズ 島赤百舌鳥

家の西側がすぐに隣家の畑になっている。

そこを見るともなく見ていると、なにやらかわいい鳥が、尾羽をさかんに上下させて、南天の茂みを行き来している姿が見えた。沢も近いのでセキレイかと思っていると、色がちがう。

 
もっと茶色がかっていて、和菓子の黄身時雨(きみしぐれ)をなぜか思い出した。繊細な美しい色の羽毛がそうさせたのかもしれない。

モズっぽいが、直感的にあまり見かけない感じの色だと思った。

双眼鏡を取り出して、よく観察してから調べてみると、シマアカモズだということが分かった。沖縄諸島に生息している旅鳥で、この辺では希少な部類に属する鳥類だ。

「空飛ぶ黄身時雨」は、羽毛で丸々として、何ともかわいらしい。

黄身時雨はその後、畑に降り立つと、よく肥えた大きなミミズを手に入れて、しばらくそこで食事をすると、残りのお土産ミミズを持って、柿の木の方へ飛び去って行った。