2009年11月12日木曜日

HAWAII日記 完全版 タロ芋は眠らない -2-

レネは、白いタンクトップに、カットオフのショートパンツ、ビーチサンダルを履いている。よく日焼けした顔にサングラスをしていた。ポリネシア系であるネイティブ・ハワイアンの血が色濃くうかがえる健康的な浅黒い顔立ちだ。



西欧式の挨拶を一通り済ませると、HONDAの赤い三輪バイクの後ろに乗れと言う。これからの道中が分かっているので、ちょっと不安だったが、バイクの後ろに乗せてもらうことにした。

ぼくは、ハワイイやポリネシア、太平洋での島々ではとても重要な食物である、タロ芋が、畑で実際にどのように栽培されているのか知りたかった。4月に、この島を訪れた時に知り合った人に、タロ芋畑を持っているレネを紹介してもらった。



ぼくらを乗せたバイクは、25%の急勾配へ向けて勢いよく走り出した。道は、土ではなく岩盤をそのまま道路として使い、ところどころアスファルトで舗装されている程度だ。


レネはぼくらに、少しだけ顔をこちらに向け、ワイピオの道案内をしながら、バイクを運転した。


「このバイクはよく走るわ」。

「あそこに見える滝があるでしょ。あれはヒイラベという名前。この島では一番大きな滝なの。本当は二筋の流れがあるんだけど、最近では、もう一つは大雨が降らないとできないわ」。

「こっちに行くと、海よ。ブラックサンドビーチの海岸」。

「これは、ジンジャーの花。いい香りなのよ」。そう言って、バイクを止めると、赤い花を摘んで渡してくれた。

道はところどころ、川を幾筋もバイクで渡河して渡る。渡るときは、足が濡れないように、レネも含めて全員が足を上にあげるのが可笑しい。ノークラのバイクだからできることだ。

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川に沿って作られた、レネのタロ芋畑は2つ。川の手前と奥だ。どちらも50メートルプールほどの大きさがある。畑の周りには芝生の道が畔としてあって、そこにはヤシの木やブーゲンビリヤが生えている。田んぼのうち、一枚は使っていない。川に近いほうの水田でぼくらは作業をすることになった。

「この畑、この場所、見える景色、ここは今日はぜーんぶあなたたちのもの。思いっきり楽しんでちょうだい」。そう言うとレネはバイクにふたたびまたがり、笑顔で手を振って帰って行った。小さい頃は、レネの祖母がこの畑をやっていたが、若いころにレネはオアフ島のワイキキに出て行ったと言う。数年前に故郷であるワイピオに戻って来たのだそうだ。

レネはバイクにまたがると、ふたたび元来た道を引き返して、爆音を上げ去って行った。途中で、こちらを振り返り何度も手を振ってくれた。

50メートルプールくらいの水田が2枚。このうちの一枚の田んぼにタロ芋が植わっている。もう一枚はお休みしているようだ。レネに聞かなかったが、畑のように連作障害があるのかもしれないと思った。

タロ畑は、日本の稲の水田とは違って、特に規則性はなく、密集しているところもあれば、まばらに植わっている個所もある。



このタロ芋に、近年持ち込まれた外来種がつくようになり、害虫となっている。でっかいタニシのような姿をしたゴールデン・アップル・スネールだ。これが、タロ芋をどんどん食べつつ、乾燥してピンク色をした小粒のイクラのような卵の房を生み繁殖し続けている。


これを集めて、田んぼの畦の芝生にあけるようにレネに言われた。水生の巻き貝だからそれで死ぬのだろう。そして、あとはクレソンのような水生の水草が繁茂しているので、それも取ると……。



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この巻貝は元々、南米原産で、最初はハワイイ料理のオードブルとして、ププ(pupu)という料理に最近使われていたものが、逃げ出してタロ芋畑にやってきたものらしい。



タロの茎や葉に産みつけてあるピンクの卵塊を指で取り去る。水中に転がっている巻貝をバケツに放りこむ。そして、クレソンみたいな雑草を集めて取り去る……。これを繰り返して、どんどん進んでいく。

 BGMのように川のせせらぎがずっと聞こえている。


ヤシの葉を揺らす風がときどき吹き渡るのが心地いい。



数時間、作業に集中しているとあっという間にお昼になった。途中で、ホースライドや馬車、車の観光客が通りかかり、ぼくらが水田で作業している姿を遠くから熱心に眺めた。恐らく、本物のタロファーマーだと思っているのだろう。ときどき、ぼくは彼らに向かって手を振った。レネから、「観光客には手を振ってあげて」と言われていたのだ。サービス、サービス。



レネは、ぼくらにタッパーに入れたランチを用意していてくれた。中身は、主食のポイ。これは、ポリネシアや南太平洋の人々が主食にしている食べ物だ。タロ芋をすりつぶして作る。ほんのり薄い紫色をしている。そして、伝統的ハワイイ料理というか、ポリネシア料理のラウラウ。これは、豚肉や鶏肉、魚などをタロイモの葉で包み、さらにティの葉で包んで蒸したもの。ティの葉は食べない。それから、固めに炊いた白いご飯、枝豆の山、そして大きなパパイヤだ。


芝生にシートを広げて、タロ畑やワイピオの奥深い山々にかかる雲を眺めながら、ランチを楽しんだ。ヤシの木が芝生の上に大きな葉影を作り出している。









*タロ芋畑。









 *休耕田(?)から見るワイピオの東側。なんだか、ワクワクする場所でしょ?






*作業の様子。








*次回は、タロ芋と南太平洋の関係や、画期的なスネール駆除法にふれます





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2009年11月11日水曜日

HAWAII日記 完全版 タロ芋は眠らない -1-

タロ芋畑の水田に浮いている、雑草を抜いて集めていく。そして、害虫である巻貝の卵と貝を駆除する――これが、この畑の持ち主であるレネおばさんから言われた仕事だ。

水田に足を入れてみる。山から流れる水はさすがにひんやりしている。ぬかるみに足を入れていく感触が心地いい。ずぶずぶと水田に足が包み込まれるように吸い込まれていく。小さい頃、東北にある祖父母の家の水田で遊びながら作業をしたのを思い出す。

ここワイピオ渓谷の田んぼは、有機物が多く豊かな黒土と、マウナケア山に降り注ぐ雨が、川になって流れ出した水とが出会い、タロ芋を育てるのに適した水田を作り出している……。

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ぼくは、昨日このハワイイ島にやってきた。島といっても、日本の四国ほどの大きさがある。到着した午後遅くに、空港でレンタカーを借り、スーパーに立ち寄って、食料を買い込むと、まっすぐにここワイピオ渓谷を目指した。夕方に借りた家に着くと、大家さんが鍵を開けておいてくれた。



翌朝、暗いうちに目を覚ました。



上体を起こしてベッドルームから見渡せる海に目をやった。空がほんのり明るい。そして、不思議な鳴き声のカエルたちが鳥のようなカワイイ音色で鳴いている。日本の渓流にいるカジカガエルのようだ。



バルコニーに出てみる。少しだけ、東の空が明るくなって、雲のふちがちょっとだけサーモンピンクに輝いている。



家の玄関から出て、すぐそばの海が見える崖まで行くと、ちょうど東の水平線から朝日が昇ってくるのが見えた。崖の上の家で飼われている山羊と一緒に朝日を眺めた。


家に戻り、ヨーグルトに野菜ジュースという簡単な食事を済ませると、ぼくはふたたびロックアウト(崖の上)に向かった。



大きく開けた視界の先にある海、ぼくの立っている崖の上の反対側にある山の峰の塊、そして谷になった部分には、川筋と豊かな湿地が広がっている。海には、大きく雲の塊が並び、朝日を浴びて、海上や山肌に巨大な影を落としている。



あまりの気持ちよさに、五感が空気に溶け込むほど、景色の中に入って見ていると、後ろからバイクの爆音が近づいてきた。レネおばさんだった。




(-2- へつづく)








*家のリビングから眺めるワイピオの海





*ロックアウトから見る渓谷と対岸の山。手前の白い車と小屋の向こうは断崖絶壁になっている







*ロックアウトから見る海。海面に雲が反射しているのが分かる?









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2009年11月10日火曜日

HAWAII日記 完全版 巨人の国

みなさまこんにちは。


お元気でしょうか。

本当にお久しぶりです。ここ何年か、ぼくはかなりいろいろなことをしたり、やらかしたり、楽しんだりしていましたが、あいかわらず毎日楽しく暮らしています。楽しいことだらけで、明日はどんな楽しいことがやれるか、ワクワクしたりします。

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最近、仕事的なことや用事があって、ハワイに通っています。ハワイと言っても、ビキニを着たオネーサンや、きらびやかでセレブ感あふれるDFSや、モノに囲まれたショッピングセンターではありません。ワイキキはほんの少し、帰りに一瞬眺めるだけです……。


みんな、知ってると思うけど、ハワイはいくつかの島からなる諸島と呼ばれる島の集まりですね。その中で一番大きいのがハワイ島。通称、ビッグアイランドなんて呼ばれちゃってます。



ぼくが用があるのは、賑やかなワイキキのあるオアフ島ではなく、ここハワイ島なんです。そして、日本では「ハワイ」と呼ばれてるけど、タイトルを見てもらえば分かるとおり、ハワイではなくハワイイです。だから、正式にはハワイイ島なんですね。現地でもちゃんと「Wiki Wiki Hawaii.」なんて、ちゃんと「イ」を2回ずつ発音しています。まあ、当たり前でしょうが(ちなみにWikiはハワイイ語で「急げ」「気楽に」だから、「気楽にハワイイに急いで行こう!」みたいな感じ。もうひとつついでに書くとウィキペデアのwikiもこれに由来するみたい)。なので、ぼくもここではハワイイと書くことにしようかな。


今回のハワイイ行は9月の下旬から、10月上旬にかけて滞在しました。ちょっと、直前に武術の稽古で足腰を痛めていたけど、まあ、何とかなるでしょ! という感じで飛行機に乗ってしまった。

空の上ではCAにひたすら、氷を渡してもらって親鳥とヒナみたいでした。そして、8時間後くらいにオアフ島に到着。今回は、乗り換えでハワイイ島を目指すことに。


トランジットで空港ロビーでしばらくじっとする。すると、ここは結構オモシロイ。日本人がほとんどいない、乗り換え待ちのロビーは、自由な巨人の集まりといった感じ。ぼくも、日本ではかなり大きな方だと思うけど、ハワイイではスマートな方に分類されてしまう。なにせ、大人の平均体重は100キロ近いのでは? という感じでバン、バン、バーンと揺れるお肉の塊がその辺をフツーにうろうろしているのだ。みんな思い思いにコーヒーを飲んだり、家族で集まって荷物を整理したり、巨大なお弁当を食べたりしている(ランチプレートと呼ばれているが相当巨大だ。普通ののり弁なら3つか4つ分くらいはある)。そして、男性にはサンタクロースみたいな人がなぜか多かった。体型もそうだけど、ヒゲもちゃんとはやしていて、サンタさんの夏休みみたいな感じでTシャツ、半ズボンで新聞なんか読んでる。そういう人が5人くらいいた。たまたまなのか、はやっているのか?


そういう、巨人たちを眺めて数時間を過ごした後、乗る飛行機の用意もすっかり整い、ぼくはふたたびハワイイ諸島の上空へと舞い上がったのだった。




(長いですが、続く)





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