2013年1月23日水曜日

桃栗三年柿八年枇杷十三年――枇杷のお茶 ビワ茶


オレンジ色が器の中に広がる。
ほんのりとやさしい里山の香りが立つ。
オレンジ色はまるで枇杷の実の色のようだ。
枇杷茶。

 
枇杷は古代に日本に持ち込まれたといわれている。そして、日本からイスラエルやブラジルに広まり、現在では品種改良されたものが世界各地で栽培されている。

以前、長崎の島原城に行った時のこと、城下に、かつて島原藩の下級武士が住んでいた、鉄砲町という武家屋敷が連なる場所を歩いた。

屋敷に入ってみると、あまり広くはないが、門構えがあり、飛び石が玄関まで続き、少し大ぶりの深い軒を構えて、土間へと続いている。農家や商家などではなく、小ぶりながら間違いなく武家の屋敷、格である。使わなくなった石臼を縁側の下に石段として用いている。畳の間からそこへ降り、小ぢんまりとした感じのよい庭を眺めた。庭には果樹が何本も植えられている。夏みかんなどの柑橘類に混ざって、そこに枇杷の木も植えられていた。
 
帰ってから、調べてみると、島原藩は自給用に果樹の栽培を奨励していたとあった。昔のこと、飢饉などにも対応できるように藩が緊急時の対策として講じたものかもしれないし、もしかすると医療用にも使われていたのかもしれない。島原は気候が温暖だが、火山地帯であるため土地がやせていると言われる。昔は、どこの地方でもそうだが、それは大変な苦労があったはずである。

家では、枇杷茶は通年飲むお茶として、毎日のように沸かして飲んでいる。今日も、先ほど散歩したときに近所で剪定(せんてい)してあったものを一袋いただいてきた。水洗いして、笊(ざる)に並べて日に干し、その後、ざく切りにして完成である。ものの本によると、葉の産毛を取り除くとあるが、ぼくは、そのままを全て使わせてもらう。

また、よく歩く山の小道に枇杷の大木が幾重にも重なって道を覆っている場所があり、常緑樹の葉がいつもとても気持ちの良い木陰をつくってくれている。その場所は、夏は日よけ、冬は雨よけになっている。

枇杷茶の効能はいろいろあり、中には癌に効くというのもあるけど、自分的には花粉症や、整腸作用、免疫力向上と、そのやさしい味に惹かれて飲んでいる。

古代から、里山で愛されてきた枇杷。オレンジ色の実の甘さを楽しみ、葉でつくったお茶を喫し、木陰や雨よけを使わせてもらう……。

桃栗三年柿八年枇杷十三年。「桃栗三年柿八年」の後に、こんな言葉が続いているのをご存じだろうか。実が成るのを表しているのはよく知られていると思うが、地方によって異なるらしく、梨や柚子(ゆず)、梅が出てくる地域もある。また、物事を為さんとするときには、相応の時間がかかるというのを表してもいる。

日々、どんどんいろいろなことがスピードアップし、変化を重ねていくが、本当に大切なことは、何も変わってはいないのかもしれないとも思う。そんなことを考えながら、このオレンジ色の枇杷のお茶を飲むと心がほっとする。私たちが目指しているのは、どこで何をすることなのだろうか。

 

2013年1月17日木曜日

野原を味わう――春のお茶 杉菜茶 スギナ茶


よく杉菜のお茶を飲む。

少し喉がいがらっぽいときや花粉症のときなど、年間を通してよく飲む飲み物の一つだ。

杉菜は、近所に生えているものをいただいてきて、水で洗ってから笊(ざる)で天日干ししてよく乾燥させたものを茶葉として使う。そのまま冷凍庫に保管すれば半年以上持つようだ。

杉菜茶の入れ方は簡単。小鍋に湯を沸かし、沸騰したら茶葉を入れる。コップ1杯(200㏄程)に対して5g程度の茶葉がいいようだ。5分ほど煮立たせてできあがり。

鍋で沸かすとだんだんと鮮やかな緑色が鍋に広がっていく。杉菜そのものが染料になって染み出したみたいなきれいな色だ。

口に含むと、素朴なほんのりと甘くやさしい味が口中に広がる。まるで春の野で深呼吸をしているような気がする。そして、いがらっぽい喉や、違和感を覚えていた花粉症の息がすっと楽になっていく……。
 

 

小さな頃、父に連れられて野原に散歩に行き、あらかじめ節を抜いてある杉菜を指して、どこが抜けているか? という遊びをよくしてもらった覚えがある。

日当たりと風通しがよい、人の手が入った明るい土地を好むようで、そのような場所によく群生しているのを見かける。畑にもよく生え、よほど生命力が強いらしく、農家では難防除雑草(なんぼうじょざっそう=生えるのを防ぐのが困難な雑草)として敬遠される場合もある。
 
杉菜は古来、生薬として使われており、問荊(もんけい)と命名されて、利尿作用や腎臓病の薬として使われている。腎臓を患った友人は、摘んできた杉菜を強いアルコール(スピリッツ)にしばらく漬けたもの、チンキを毎日服用して、病気を克服したそうだ。それは、ネイティブ・アメリカンに伝わるやり方だそう。杉菜は日本だけに生育しているわけではなく北半球に広く分布している。

ネイティブ・アメリカンが、古来よりトリックスターとして崇め、敬愛しているイヌ科の動物、コヨーテも環境適応能力が高く生命力が強い。人類が絶滅しても生き残るであろうと言われているゴキブリと比較されたりしているほど。

コヨーテは、北米では駆除の対象となっているが、倍増するかのような勢いで増えているという話を先日聞いた。まるで、動物版の杉菜みたいだ。

何度、駆除しても、駆除しても、瞬く間にどこかからやってきて元気な姿を見せる自然のものたち。そんな、自然のものを利益にそぐわないからと駆除しようとする人間たち……。どこか、現代に起こっているさまざまな問題に通じるように思うのは自分だけだろうか。

自分たちは、その強い生命力に触れて、強い力を分けてもらうことしかできないのかもしれないが……。

2013年1月11日金曜日

梅に鶯……でなく 枇杷に繍眼児――メジロ 繍眼児

家の周り一帯に枇杷の木がよく生えている。少し山の方へ行くと、枇杷の果樹畑もある。

昔から、このあたり一帯は枇杷の実の名産地だそう。剪定された葉つきの枝ごといただいたり、葉っぱだけ少し分けてもらったりしながら、お茶をつくったり、風呂に入れて枇杷湯を楽しんだりしている。葉だけ煎じても、枇杷の実のような橙色の美しい色になる。

枇杷は11月から2月、冬に花期を迎える。家の東側にも、大きな枇杷の木があり、白くかわいい花をつけている。

この木に、最近よくメジロたちがやってきて枇杷の花の蜜を吸っている。数羽で来たり、つがいで訪れたりと、メジロのカフェになっているようだ。ヒヨドリなんかも大声を上げてやってくる。


メジロはとても可愛らしい。きれいな緑色の身体で、名の通り、目の周りが白く、美しい声でさえずる。



古来、よく春の画題として取り上げられているが、鶯(ウグイス)と間違っているものがよくある。鶯よりもメジロの方がウグイス色のイメージに近いように思う。

われながら、あまりにも単純すぎると思うが、メジロを目にすると、繊細な緑の粉がほわほわと愛くるしい、鶯餅を連想してしまう。先日、黄身時雨を書いたばかりで恐縮だが、今度は鶯餅。考えうるのは食べ物ばかりか……。

メジロは、その声や姿を愛でるため、以前は飼育することも可能であったが、鳥獣保護法により、昨年から捕獲禁止になったが、密漁も行われているようだ。

自然のものを愛でるには、そのまま自然の中でか、あるいは「おいしい」姿をつくりだしてしまうほうがよいのかもしれない。
 
 
*メジロは「目白」とも書きますが、題では「目の周りに刺繍がある子」という連想がかわいらしく「繍眼児」にしました


2013年1月8日火曜日

小さなビロード――ヒメヒミズ 姫日不見


いつものように、森を歩いているときのこと、林道の端に黒い小さな毛皮の生きものがうずくまっているのが目に入った。

そっと近づいてみると、すでに死んでいるのが分かった。ヒメヒミズだった。

背中の上部に、少し傷跡があったことから、何らかのアクシデントで傷ついたか、動物に襲われたのだと判断した。

ヒメヒミズに初めて会ったのは、ずいぶん昔だ。地方の古い博物館だった。大昔に造られたギリシャ神殿のような大げさな大理石の建物の中、埃をかぶったガラスケースの標本として、朽ちたような状態のあまりよくない剥製が展示されていた。それでも、こんなに小さな哺乳類が近くにいるんだ、という軽い驚きとともにしばらく標本に見入っていたのを思い出した。

ヒメヒミズの仲間にヒミズがいる。この二種は原始的なモグラの仲間で、森林や落ち葉の下に暮らしている。モグラとは違い、トンネルを自分で掘ることはない。表土の上に降り積もる落ち葉の下にトンネルをつくり、その「道」を行き来している。34時間ごとに眠ったり起きたりしているらしい。食べ物は昆虫、クモ、ムカデの他に植物の根や穀類も好んでいる。

ビロードのような毛皮の光沢がとても美しい。家に持ち帰り、じっくりと観察させてもらった後に、もう一度、出会った場所まで行き、お礼を言ってヒメヒミズを埋めた。

ヒミズやヒメヒミズの死体は死後に臭いが強くなるためか、好んで食べる動物がいないと言われている。死んだものがよく、そのままの姿で山にころがっているそうだ。

でも、彼(彼女?)はきっと、土の下で、虫や菌類にしっかり分解されて、早くに土に還り山の一部に戻っていくことだろうと思う。

2013年1月7日月曜日

空飛ぶ黄身時雨――シマアカモズ 島赤百舌鳥

家の西側がすぐに隣家の畑になっている。

そこを見るともなく見ていると、なにやらかわいい鳥が、尾羽をさかんに上下させて、南天の茂みを行き来している姿が見えた。沢も近いのでセキレイかと思っていると、色がちがう。

 
もっと茶色がかっていて、和菓子の黄身時雨(きみしぐれ)をなぜか思い出した。繊細な美しい色の羽毛がそうさせたのかもしれない。

モズっぽいが、直感的にあまり見かけない感じの色だと思った。

双眼鏡を取り出して、よく観察してから調べてみると、シマアカモズだということが分かった。沖縄諸島に生息している旅鳥で、この辺では希少な部類に属する鳥類だ。

「空飛ぶ黄身時雨」は、羽毛で丸々として、何ともかわいらしい。

黄身時雨はその後、畑に降り立つと、よく肥えた大きなミミズを手に入れて、しばらくそこで食事をすると、残りのお土産ミミズを持って、柿の木の方へ飛び去って行った。

 


2011年3月29日火曜日

揺るぎなきもの

こんにちは。
みなさまお元気でしょうか。
毎日、どんな思いで過ごされていますか。
この間(かん)、震災に遭われた方々や失われたものの大きさを考えると、いろんな思いが去来します……。

ぼくたち、この島で生きる者は、遠い昔から数々の大きな地震や台風、津波に襲われてきました。いま一度、自分たちに本当に必要なものは何か。何を目指して歩んでいけばよいのかが問われているときなのかもしれません。

ぼくの祖母は、明治期に現在の福島県相馬で生まれた人でした。相馬藩士の娘であったようです。幼少の頃に亡くなったので、あまり記憶がないのですが、とてもやさしい人で、苦労をした人に似合わず白く繊細な手だったことを憶えています。

ぼくが学んでいる古武術流派のひとつに、仙台藩のものがあります。家伝には残っていませんが、もしかしたら曾祖父や親戚たちは学んでいたのかもしれません。


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以前に、九州を旅したときのこと、弥生時代から戦国期、江戸、明治に至るまでの史跡をまわったことがある。

地面に穴をうがち、太い柱を基礎として立てて、藁(わら)や茅(かや)などの植物を屋根に葺いて家をつくる。近くで田畑を耕し、米などの作物を育てる。時には山で狩りをして、海では魚を漁(すなど)る。そして、何軒か家が集まり、集落になると、周りには堀を作り、収穫した大切な備蓄食料としての作物を守る。

その構造は、農耕を始めた弥生時代の吉野ヶ里遺跡から、加藤清正が築いた熊本城まで基本的には変わっていない。

見てまわった中で、島原城下にある鉄砲町という、かつて島原藩の武士たちが暮らしていた町並みを見学した。武士と言っても、藩主や家老などの高級武士ではなく、下士階級が暮らした町並みと住居が今も残されている。

鉄砲町には、町を横切るように石造りの小さな水路が流れている。山の湧水を引いて、使えるようにしたものだ。

水路そばに建つ、保存されている小さな屋敷に入る。「猫の額ほどの」という言い方があるが、まさにそのような庭があり、水仙や梅が咲き、蜜柑や枇杷、柿などの樹木も植わっている。

家の中は、土間に竈(かまど)のある台所、控えの前室、庭に面した主人の書斎、他に2部屋があるばかりで、当然のことながら、こぢんまりとした質素な作りになっている。

だけど、書斎には違い棚や、整えられた作りの床の間があり、開け放たれた障子の向こうには、庭木を見ることができた。質素ながら美しい欄間(らんま)もあり、屋内での風の通り道も計算されているようで、思ったほど古い家特有の埃っぽさもない。

島原城が竣工したのは1624年ごろ寛永元年あたりだと言われている。自分が見ている家や庭木がすべて当時のままではないにせよ、390年近くも以前に設計されて建てられ、設(しつら)えられたものだと思うと、作った人、住んだ人、そして家を保存し残してくれている人たちの思いを感じて、胸にこみ上げてくるものがあった。

この家に住んだ人たちはもう生きてはいない。家を造った人や住んでいた人たちは、もちろん家を大切にして、長いながい間、代を重ね、手入れをし続けて住んでいたにちがいない。だからこそ、現代まで保存することも可能になったはずだ。だけど、この家に住んでいた人たちが本当に残したかったものや、伝えたかったことは、家屋敷そのものではなかったような気がする。

ここに残っている、間取りや佇まい、庭木の果樹、縁側の側に置かれた苔むした石臼があるからこそ、ぼくは遠い昔に暮らした人たちの面影を、まるでつい昨日まで、ここに武家の家族が暮らしていたかのように感じることができるのだけど……。

この島の、数百年も前の文化は、繰り返し起きる災害や戦争、また文化の流入によって、かなり多くの部分が消失してしまった。自分の学んでいる古武術でも、どの部分が後生に加えられたもので、どの部分が流派当初からあるもので、どこが本質なのかを見分けるのはとても難しい。でも、そこには間違いなく、それを創った人、支えてきた人たちの思いが必ずある。そこを見て、明日を生きることこそがとても大切なのではないだろうか。

本当に大切なものは何だろう。家財や洋服。土地。家。お金。それとも、それを入手するための利権……。どれもそうではないだろうと最近ぼくは思う。本当に大切なのは、だれしもが胸の中に持っているもので、形はないものなのかもしれない。

そして、それを養うことこそが、本当に鉄砲町の家で暮らした人たちが伝えたかったものではなかっただろうか。



かつて、ギリシャ哲学者がこんなことを言った。


 ――万物は流転す。自然界は絶えず変化している。そして変化しないもの、本質(ロゴス)がその背後にある



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今は、大上段に振りかぶった文明論を論じる時ではないかもしれません。でも、豊かな自然に恵まれたこの島に生きるぼくたちは、いまこそ本当にこの先どんな世界を目指してやっていくのかが問われているように思います。

ぼくの祖母が生まれた相馬市も、大きな被害を受けました。子孫として、復興に向け、力の続く限りやりたいと思います。そして、祖母をはじめ先祖の方々に何かを突きつけられているような気がしてなりません。

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◎タンサンの話


近所で炭酸水を買ってきました。うれしくなって冷蔵庫に入れました。風呂上がりや、仕事の合間にちょっとレモンなぞを絞ってタンサン飲むのがぼくの密かな楽しみなんです。コンビニエンスストアやスーパーマーケットで、最近ではペットボトルの水はほとんど売っていません。でも炭酸は人気がないのか、けっこうたくさんあるんです。そして、実は炭酸でご飯を炊くと美味しかったりするんですよ。





2011年2月3日木曜日

節分――豆を蒔くことの意味


こんばんは。今日は節分ですね。

いかがお過ごしですか。

ご家族で豆まきしたり、一人で壁を向いて、もぐもぐと恵方巻きにかぶりついたりしてますか? ぼくはお昼にいただきました。太巻き1本が昼食という、うれしいような、さみしいようなビミョーな感じでした。でも美味しかったのでよかったです。

今日は節分にあたりますね。節分とは、季節が始まる日(立春、立夏、立秋、立冬)の前日を指します。また、「季節を分ける」という意味もあります。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多いようですね。

豆まきは、各地方や神社、家系によって、それぞれしきたりや、方法がさまざまにあるようですが、基本的には季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていて、それを払うための悪霊払いの行事というのが基本になっているようです。古来、節分の行事は宮中での年中行事でもありました。追儺(ついな)と言ったそうです。現在は宮中で行われているかどうか分かりませんが、この地に暮らす人々にとって、大切な日だということには変わりないように思います。

その内容は、大舎人(おおとねり=宮中で要人の雑務、護衛にあたった官人)が扮する方相氏(金色の目が4つ、頭に角が生えている鬼のような姿をした神さま。人間の目には見えない悪鬼を退散させる鬼神)が、右手に矛、左手に盾をもって鬼払いをするという儀式でした。平安神宮などでは現在も行われているようです。

日本では、このような歴史を持つ豆まきですが、ネイティブ・アメリカンや古代ハワイでも、とても似たような邪気を払う方法というのが伝わっています。ネイティブ・アメリカンはセージの葉や、タバコの葉を燃やして、煙を浄化につかいます。古代ハワイでは、塩や海水、ティーリーフを使って浄化をします。世界中どこでも、浄化するということは、とても大切なことだったようです。

今回は、日本の地に古来から伝わる、邪気を払う浄化の方法としての、豆まきをお伝えしましょう。


◎豆まき

・ひとつまみの粗塩と一緒に、小鍋などで豆を煎る
・煙が上がってくるのでかまわずに炒り続ける。この煙も浄化作用がある
・包丁で十字を切る
・「払いたまえ」と唱えながら豆を煎っている鍋の中に刃先を入れて、横に払う
・「清めたまえ」と唱えながら豆を煎っている鍋の中に刃先を入れて、縦に払う。
・真っ黒の豆を、升などの四角い入れ物に入れる(ぼくは折り紙で四角い箱を折ります)
・窓、ドアは全開にして、換気扇をつけておく(ここは大切です)
・手の甲は下に向け、天井に向かって豆を撒く
・かけ声は「福は内。鬼は外」
・すべての部屋に捲き終わったら、箒ですべての豆を玄関から吐き出す


 これが、日本に伝わる、浄化方法のひとつです。

特に節分でなくてもかまいません。家の中やお部屋が、なんとなくどんよりしたり、いやな感じがするようになったと感じたらやってみてください。
豆まきをすると、不思議とけっこうすっきりしたりします。



・写真 上 お正月の黒豆ではありません。大豆です
      下 小さなダッチオーブンのスキレットで煎ってみました







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