2010年7月8日木曜日

万雷--雨がふる瞬間(とき)

 ネイティブ・アメリカンの古老から伝わる技術を学んでいる。技術を知れば知るほど、深さを知るほどに自分の小ささ、いたらなさを感じている。

 この技術を学んでいる者は「秘密の場所」と呼ばれる自分の場所を持っている。その場所へ行き、動物や鳥、生き物のこと、植物、天気、土、水、火、太陽、星、などのことを観察し学ぶ。

 今朝は、暗いうちにベッドを抜け出して近所の森にある、ぼくの「秘密の場所」へ向かった。木立では鳥たちがさかんに朝のさえずりを唄っていた。今にも水分で膨らみすぎて破裂しそうなほど膨張した濃密な大気のうるおいを、ゆっくりと歩を進めながら肌で感じた。静かにしていると風が急に強くなり、鳥は声を止めた。

 まるでぼくの着席を待つかのごとく、「秘密の場所」に座った時にそれは突然始まった。

 さらに静かにしていると一面に広げた和紙に大量の小豆を蒔くような、万雷(ばんらい)の雨音が響き渡った。土が香り立ち、梢は雨に揺れる。空から豪雨が降り注いだ。

 目の前で繰り広げられる素晴らしいスペクタクルな光景を、ぼくは大きなヒマラヤスギの根元に広がる、雨粒があたらないほど葉が生い茂る木立の葉陰に身をひそめて、雨音に耳を澄ませた。

 雨音を聞いていると、感覚が研ぎ澄まされて、水の行方や生い立ちが自分に染み込んでくるようだった。

 いま、ここに降り注ぐ雨は地表から地中に染み込んで地下水となり、川を流れやがて海へと広がる。そして、どこかで蒸散して雲となり、また目の前の雨のようにどこかで降り注ぐ。

 この繰り返しが延々と地球の歴史と同じだけ続いているのだ。○○臆年と数字を書いても何の意味もなさないほど遠い昔から……。

 水がなければ生きられない、自分たちの命――この事実の中で、自分は普段の暮らしで、水とどのようにつきあっているだろうか。水をどのように認識しているだろうか。

 近年、ゲリラ豪雨などと言われ、予測不能な降雨に対策が立てられるような状況になっているが、これはもしかすると自分たちがみずから進んで招いていることなのかもしれない。

 目の前に繰り広げられる光景は、どんなに手の込んだ3D映画や遊園地のアトラクションよりも自分にとっては興味深くおもしろかった。

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