2010年8月10日火曜日

2400年前の世界を感じる――弥生前期から続いている足跡

もうすぐ週末。今週こそは、最近、仕事で休みがちな武術の稽古に行って、しっかり原稿を執筆して、月曜日には完璧な原稿をきっちり入稿しよう……そう思っていた。しかし、ミッションは突然、深夜にやってきた。

奈良県で2400年前の弥生人の足跡や狩猟、暮らしの痕跡が発見されたというのだ。他の仕事をやりくりして、原稿をものすごいスピードで仕上げて、金曜日には東京駅から新幹線に乗って奈良に行くこととなった。今回は、ぼくの仕事のスピードこそ「光」号と号したいくらいのスピードだった。


現場は奈良県御所(ごせ)市。ぼくが持っているお気に入りの勾玉(まがたま)も確かこのあたりで出土したはず。土地柄、出土品は非常に多く見られる。いまだに解明されていない遺跡も出土したりする。


この地方では、古代の先住民が暮らしていたという言い伝えや痕跡も多い。縄文時代から弥生時代に移行するときに、大陸から渡ってきた人たちと縄張り争いがあったのかもしれない。


彼らは土蜘蛛(つちぐも)や葛(くず)と呼ばれる民族だった。いにしえの古文書によると、背が低く、がっちりとした体格で、手足が長い身体的特徴を持ち、穴の中に暮らしていたという。これは、そのまま縄文人にもあてはまる。また、土蜘蛛や葛は、アイヌやエミシなどのように、また別の人種なのかもしれない。彼らはみな、時の権力や朝廷に追われ、生活の拠点を移したりそのまま滅ぼされていった。

 自然界や動植物、世界そのものと調和することを忘れてしまった、現代を生きるぼくたちのコンビニエンスな価値観もそうだが、人同士が滅ぼし合う姿はなんとも悲しい。それも、おそらくは、お互いに自分の、あるいは自分の親兄弟や部族の繁栄を願ってのことだったのだ。ともに生きる道を選べなかったのかとも思う。

今年は、710年(和銅3年)に藤原京から平城京へ遷都されたことを受け「平城遷都1300年祭」として奈良で大々的にキャンペーンをやっているのはご存じの通り。不思議なスタイルのキャンペーンキャラクター「せんとくん」が描かれた団扇を、タクシーの運転手が汗でTシャツを肌に貼りつかせているぼくに、気の毒そうな顔で渡してくれた。


奈良出身者の話によれば、この地では古墳など当たり前のように暮らしに溶け込んでいるという。そこここに見えるこんもりとした小山は、たいてい古墳であるとのこと。この地方では、古墳は「御陵(ごりょう)さん」と、親しみと畏敬の念を持って呼ばれている。子どもの頃は、いくら古墳に入ったり、登りたくても「決して行ってはいけない」と、どこの家でも親から戒められていたそうだ。それはそうだろう。どこの国や部族でもお墓で遊んではいけないのだ。


その場所は、低い山波に囲まれ、平坦で開けた場所が続くこのあたり特有の盆地の特徴をよく表していた。山から川筋が伸びており、太古から湿潤な地形だったことが分かる。近くには大小の古墳や神社をはじめ、有名なヤマトタケル白鳥陵や葛城一言主神社などもある。


現場はすでに、橿原(かしはら)考古学研究所によって、痕跡に白いマーキングが施されて見やすく整理されていた。広々とした遺跡の端に立って見渡すと、2400年前の水田と森を一望することができた。

今回、見つかったのは、森林3千平方メートルと、水田1700平方メートル。洪水による、急激な土砂の堆積によって厚さ1・5メートルほどが埋まって、当時のまま閉じ込められた状態になり、埋没時の状況がそのまま残った。


つまり、2400年前の人たちが、狩猟や木材の伐採、植物の採集を行って暮らす森と、そこに隣接する当時の水田が、そのまま2010年の現代に姿をあらわしたということなのだ。


「田んぼ」は、現代の区画よりも小さい。およそ1坪(約180センチ×約180センチ)ほど。そのほかの形状は、現代の水田となんら変わっているところはないように見える。


水路と、そこにつづく通路に当時のまま、足跡が残っている。歩幅や足の開き方、歩調などから、水田を急ぐでもなく通常の速度で目的を持って移動している、身長130センチ~150センチほどの小柄な男性、あるいは女性であることがわかる。泥濘(ぬかるみ)を歩いたにしては沈み方が少なく、あまり体重は重くなかったように思える。特にマーキングはされていなかったが、そのほかにも2人ほどの足跡をぼくは見つけた。

田んぼから、幅2メートル、深さ60センチの水路を隔てた、かつての豊かな「森」では、何人もの人の足跡がいろんなサイズで残されており、さらにはイノシシだと思われる動物の足跡もつけられている。中には木の周りを回るように、つけられている人の足跡も残っている。これは、伐採、あるいは植物、木の実の採取を目的としたものだったのかもしれない。


森は原生林でなく2次林で、人の手によるものだという。ヤマグワ44本。ツバキ39本。カエデ21本。イヌガヤ12本。コクサギ10本。オニグルミ、カシ、エノキ各7本など22種以上あり、食用の木の実が稔る樹種が多い。人為的に割られたクルミの殻も見つかっている。縄文から続くこの頃も、当然ながら果樹の栽培を行っていたのだ。


また、驚くことにトチノキやカエデなどには伐採痕がはっきりと残っており、石斧(せきふ)が削り取ったであろう刃の角度までをはっきりと見ることができた。まるで「先週、家の柱に使うからちょっと伐ったんだよ」とでも言われそうな感じで切り株の痕は生々しくそこにあった。

また、太いエノキを火で焦がしながら石斧で伐採した痕跡も残っていた。火で焼くことによって木の強度を弱めて伐っていったと思われる。どの木も80センチほどの高さで伐採されていて、腰の高さで一番力が伝わる場所に石斧をふるって伐ったことが分かる。


周辺でも、弥生土器片やサヌカイト片(石器の破片)、人の足跡なども見つかり、木陰で活動していたらしい様子もうかがえる。ぼくが見た土器片にははっきりと縄文式らしき縄目が刻まれていた。また、地域間の交流があったことも土器の形状から分かった。中部地方からもたらされた搬入土器と呼ばれる土器も見つかっている。


砕かれた犬科動物の獣骨や石鏃(せきぞく=石製のヤジリ)も発見されており、ここで狩猟が行われていたことが分かる。タヌキなどを獲って、木立の中で火を起こして焼き、熱く焼けたタヌキ肉などを食べていたのかもしれないと思うとワクワクしてくる。


ぼくは、遠く北米大陸に暮らしたネイティブアメリカンの狩猟採集技術を学んでいる。その技術のおかげで、足跡の主がおよそどのようなことをしたのかが、少し理解することが可能だ。今のぼくには、ほんの少ししか分からないが、師匠たちは彼らのそのときの気持ちや置かれている状況、その日の朝食や痕跡の主の顔つき、服装から食べ物の好みまで手に取るように分かるのだ。


おかげでぼくにも、ここで暮らした人たちに少しだけふれることができた。裸足、あるいは薄い履き物を履いた人が、木の周りを何回も、あるいは何人かで回りながら歩いた様子……。非常に洗練された鋭利な石斧を使って、太い木を伐採していたこと……。田んぼの中を行き来した姿……。小さく研ぎ澄まされた石のヤジリをつけた弓でイノシシやタヌキを狩ること……。一瞬、当時のままの彼らの姿が炎天で揺らぐ陽炎の彼方に見えたような気がした。

こうして、自分の生まれ育った土地で、遙かな昔に祖先が暮らした様子を、痕跡を見て理解することができるのはとても大きなことではないか思う。一説によると、縄文時代の祖先は、地続きだった遠くアメリカ大陸にまで歩いて渡り、彼の地に暮らしたとも言う。


世界中の先住民の技術は、細かなディテールの違いこそあれ、とてもよく似ている。アフリカや南米に暮らす先住民、ナナイ、アイヌやニブヒなどのアジアの民、そしてポリネシアやサモア、ハワイなどの海洋民族を見ても、自然を理解し、共に生きる方法を探り、実践しているように思える。それは、人が生きていく時に、自分以外の存在とコミュニケートせずには存在できないということが本質だからなのかもしれない。


もし、遺跡を解明しようとする考古学者の助けや、インディアンの技をぼくが知らなければ、そこはただの原っぱや現代の田んぼにしか見えず、現場に行ったとしても、痕跡も見いだせずに、何も感じずに通り過ぎるだけなのかもしれないと思うとぞっとする。


ぼくの学んでいる技術の根幹にあるものは、コミュニケーションだとぼくは理解している。風や雲の動きで天候を判じたり、鳥や獣の動きから遠くで起こっている事象を見いだし、星の位置から、自分の居場所を知って旅をする。足跡一つから、動物や人の気持ちをくみ取り、理解しようとする。そして、共に生きる道を探っていく生き方……。


縄文期から弥生期にさしかかる遺跡を歩きながら「自分たちは、どこかで道を間違えて歩いてきてしまったのかもしれない」とぼくは思った。すぐ隣にいる人にもメールでないと意志が伝えられない。楽しみはPCやゲーム。ヘッドフォンで聞く音楽。食事は透明なラップにくるまれたパック入りの便利なもの……。


便利なものを決して悪いとぼくは思わない。だけど、それを用いる人の意識がどんなことにつながっているのかと思う。自分の利益が最優先。意のままにならなければ、相手を傷つける。そして、他民族を滅ぼさんと争う……。


しかし、今から進路を変更することも可能なのだ。もう、土蜘蛛や葛の民が戻ってくることはないけれど、すぐ隣にいる人や、自然との共生を意識し、皆とコミュニケートしながら、共に生きる方法があるはずではないかと……。蝉時雨がふりしきる炎天の奈良でぼくは立ちつくしていた。








2010年7月22日木曜日

瓶の中の小さな宇宙――夏ごはん フィリピン セブ島発「酢っぱ辛いお酢」!

毎日、暑いですね。みなさまいかがお過ごしでしょうか。暑くて少し体調を崩しつつも、なぜか食欲は少しも落ちないebimaruです。先日は、近所の方からイサキを釣ってきたというのでいただき、さっそく自分でさばいて一夜干しを作りました。それを、焼き網で炙ったものをつつきながら、よく冷やした冷酒を飲むのを想像すると昼間でもたまりません……。と、今回はイサキの一夜干しの話ではないのです。それは、また次回に。



暑いフィリピン・セブ島でローカルのみなさんに愛されているという、調味酢をebimaru流にアレンジしたものを紹介します。つくり方はカンタン。材料を酢に漬け込み一晩以上置くだけ。これを料理にかけると、食欲がモリモリと湧いてくる! これで、この夏はおいしい夏ごはんをたくさん食べて元気出しましょうね。


沖縄のコーレーグースにも通じる調味料で、セブ島の人はけっこうガンガン使っています。ぜひお試しあれ!




材料


酢 1カップ200mlくらい


ぼくは家にあった京都の純米富士酢と、同じく京都の三條大橋村山造酢の千鳥酢を合わせて使った。酢の種類はお好みでどうぞ。黒酢とかアップルビネガーとかもいいかも。

唐辛子あるいは鷹の爪 生でも乾燥でも。5粒くらい。


ショウガ 2~3かけ。適宜。


ニンニク 2~3かけ。適宜。


ローレル 2~3枚。適宜。


だし昆布 1かけ。5センチくらい。


煮干し 2~3かけ。適宜。


鰹節 適宜。


1
ニンニクとショウガを、みじん切りにする。


2
唐辛子の種をとって漬けるとやさしいお味に。種をそのまま入れちゃうとかな~り辛くなります。さらに辛くしたいときは、唐辛子に切れ目を入れて。


3
ビンに材料全てを入れ、1日以上置く。しばらくすると、あら不思議、なんとエクセレントなお味に変化しているではアリマセンカ! 


酢は生き物なので、漬け込んでおくと、だんだん中の材料の味が浸みて変化していきます。瓶の中で小さな宇宙ができあがるわけですね。それを、美味しくいただいちゃうわけです。

肉料理、魚料理、中華、揚げ物、酢の物、ドレッシングなど、何に合わせてもおいしくいただけます。

冷蔵庫で保存し、使い切ったら、酢を足していけば数ヶ月は使えます。









魔法の酢

2010年7月13日火曜日

鰻--石麻呂に吾もの申す 夏痩せに吉しと云うものぞむなぎ武奈伎とり召せ --霞ヶ浦の婆さま--

鰻を食べた。



先週、神社にお参りに行ったときは、
霞ヶ浦を通りかかった。


しかし、土用の丑の日が近いにもかかわらず、
鰻は食べずじまいで幌を全開にして車を飛ばしていた。


霞ヶ浦のほとりでは、
キラキラした水面(みなも)を背景に、
モンペを着た、
客引きの婆さまが、
舟遊びを誘って手のひらをヒラヒラと素早く手招きしていた。


何か、その姿に「コワイ」ものを感じたのだが、
鰻が食べられるのなら、
行ってもよかったのかとも思う。


オフィスにいるときは、
ランチタイム近くになると、
軽くストレッチをしてから、
スタバへアイスコーヒーを買いに行く。


今日はそのおりに、
オフィスビルの下にある、
鰻屋に目がとまった。


15分ほどで、
大盛りにしてもらった食事を終えると、
店を後にし、熱気の中に出た。


気のせいか、あまり不快な暑さは感じなかった。
まさか、一瞬で精がついた訳でもあるまいが……。


霞ヶ浦の婆さまの姿が、
脳裏をよぎり、
急いで打ち消しつつスタバへ向かった。

*タイトル

万葉集に「石麻呂に吾もの申す夏痩せに吉しと云うものぞむなぎ武奈伎とり召せ=大伴家持」という句があるように、うなぎは夏に欠かせない食として奈良時代から食べられていたようです。


特に、土用の丑の日にうなぎを食べるようになったのは、江戸中期の学者・平賀源内が、ひいきのうなぎ屋に看板を書いたのがはじまりだといわれています。


「土用」は年に4回あり、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれ前18日を指します。特に立秋までの干支の「丑」の日が、いわゆる「土用の丑の日」です。





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2010年7月8日木曜日

万雷--雨がふる瞬間(とき)

 ネイティブ・アメリカンの古老から伝わる技術を学んでいる。技術を知れば知るほど、深さを知るほどに自分の小ささ、いたらなさを感じている。

 この技術を学んでいる者は「秘密の場所」と呼ばれる自分の場所を持っている。その場所へ行き、動物や鳥、生き物のこと、植物、天気、土、水、火、太陽、星、などのことを観察し学ぶ。

 今朝は、暗いうちにベッドを抜け出して近所の森にある、ぼくの「秘密の場所」へ向かった。木立では鳥たちがさかんに朝のさえずりを唄っていた。今にも水分で膨らみすぎて破裂しそうなほど膨張した濃密な大気のうるおいを、ゆっくりと歩を進めながら肌で感じた。静かにしていると風が急に強くなり、鳥は声を止めた。

 まるでぼくの着席を待つかのごとく、「秘密の場所」に座った時にそれは突然始まった。

 さらに静かにしていると一面に広げた和紙に大量の小豆を蒔くような、万雷(ばんらい)の雨音が響き渡った。土が香り立ち、梢は雨に揺れる。空から豪雨が降り注いだ。

 目の前で繰り広げられる素晴らしいスペクタクルな光景を、ぼくは大きなヒマラヤスギの根元に広がる、雨粒があたらないほど葉が生い茂る木立の葉陰に身をひそめて、雨音に耳を澄ませた。

 雨音を聞いていると、感覚が研ぎ澄まされて、水の行方や生い立ちが自分に染み込んでくるようだった。

 いま、ここに降り注ぐ雨は地表から地中に染み込んで地下水となり、川を流れやがて海へと広がる。そして、どこかで蒸散して雲となり、また目の前の雨のようにどこかで降り注ぐ。

 この繰り返しが延々と地球の歴史と同じだけ続いているのだ。○○臆年と数字を書いても何の意味もなさないほど遠い昔から……。

 水がなければ生きられない、自分たちの命――この事実の中で、自分は普段の暮らしで、水とどのようにつきあっているだろうか。水をどのように認識しているだろうか。

 近年、ゲリラ豪雨などと言われ、予測不能な降雨に対策が立てられるような状況になっているが、これはもしかすると自分たちがみずから進んで招いていることなのかもしれない。

 目の前に繰り広げられる光景は、どんなに手の込んだ3D映画や遊園地のアトラクションよりも自分にとっては興味深くおもしろかった。

2010年7月5日月曜日

時有微涼不是風――トマトの冷製パスタ

毎日、暑い。
みなさまは、いかがお過ごしでしょうか。

ボクは、 朝早くベッドを抜け出して、 目黒のほうまで、 走ったり(ウチは世田谷)、 トレーニングをしたりしてる。

終わって高層階から、下界や摩天楼を眺め、 ストレッチをするときが、至福のひと時。

雲や風が流れ、巨大な雲影が、東京タワーやビル群をかすめる……。

こんなに暑くて体温上昇中なときは、冷めたいものが、 食べたい。

 そこで、トマトの冷製パスタ!


 ○材料(2~3人分)

・トマト 2個
・キュウリ 1本
オクラ 5~6本
・ミョウガ 1かけら
・ショウガ 1かけら
・生クリーム 50cc
・白ワイン 大さじ2
・オリーブ油 大さじ2
・パスタ 250g
・ポン酢 適宜
・塩 適宜
・こしょう 適宜

○作り方
1.パスタを袋の表示に従ってゆではじめる。
2.トマト、オクラは1.5cm角に切る。キュウリはざく切り。ミョウガはみじん切り。ショウガはすりおろす。
3.ゆで上がったパスタの水気を切ってザルにあけ、 水道水で一気に冷やす。冷やしたら、さらに水気を切って、 オリーブオイルでからめる。 器に盛ってトマト、オクラ、ミョウガをちらす。
4.盛りつけた上から、生クリーム、白ワイン、ポン酢をかけて、すりおろしたショウガをのせ、味をみて薄ければ塩、こしょうを適宜足す。

これで、できあがり。
お好みで、バルサミコ酢や、 ノリ、かつお節をトッピングしても美味しい。
生クリームがなければ、 マヨネーズというアラワザもアリだ。

この夏、気軽にお試しを。


○タイトル


「時有微涼不是風」は、古代の中国王朝の一つ、南宋(1127年-1279年)の詩人、楊万里(1127年-1206年)の漢詩の一節。

夜熱依然午熱同
開門小立月明中
竹深樹密虫鳴処
時有微涼不是風

・読み方
やねつ いぜんとして ごねつに おなじ
もんをひらいて しょうりつす げつめいのうち
たけふかく きみつにして むしなくところ
ときに びりょうあり これ かぜならず

・意味

夜になっても、真昼の熱気と同じだ。
門を開け、外に出て、月明かりの中にしばし立っていた。
竹がうっそうとし、樹が茂っているあたりで虫が鳴いた。
そのとき、わずかに涼しさを感じたが、それは風の涼しさではなかった……。




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2010年7月3日土曜日

1800万年前の足跡が教えてくれたこと

  ネイティブ・アメリカンの古老から伝わる技術を学んでいるせいもあって、ぼくは、普段の暮らしでも、周囲の状況や環境の変化を観察することにとても興味がある。シャーロック・ホームズのような、と言えば、わかりやすいかもしれない。足跡や煙草の吸い殻などから、その人の性格や感情を読み取ろうとする。そのことは、ネイティブ・アメリカンの技術の一端に過ぎないけど、狩猟をする際にはとても重要な技術なのだ。

 そうしたこともあって、ときどき山に入っては、動物の足跡を追跡したり、鳥の声を聞いたり、植物や気象の状態から山全体の様子をうかがってみたりしている。

 先日も、水戸の山中でイノシシの痕跡を追った。山深いハワイ島の山中でも、イノシシをトラッキング(足跡を追跡すること)したことがあった。そのときは、痕跡が新しいこともあって、爪の形や、イノシシが食べ物を探して、鼻を地面の中に突っ込みながら進む様子が、まるで数分ほど前に起こった出来事のように思えたものだ。

 話はさかのぼるが、それよりも少し前に、岐阜県で1800万年前の動物の足跡化石が大量に見つかったという報道があり、新幹線に乗った。現場は川の合流地点だ。ここは、太古も川だった場所で、山の際から少しなだらかな場所を経て、山から川が流れこんでいる、野生動物たちにとっては、おそらく格好の水場だったに違いない場所だ。

 そこには、なだらかな場所から川の流れに向かって、大小のさまざまな大きさの足跡が続いていた。水辺に葦が生えていた痕や、葦が倒伏した痕もはっきりと化石になって残っている。かつての河床であったろう場所には環虫類(ゴカイなど)の痕跡も見ることができた。

 最初にその場所を見たときには、河床一面にへこみが沢山ついていて、きっとあれが足跡なのだろうな、という感じだった。しかし、ネイティブ・アメリカンの技術で、視野を広くとり、俯瞰的にその場所をとらえて、よく見てみると、まるで3Dメガネをかけて、映像が浮かび上がるかのように、その場所の状況が見えてきた。

 足跡の大きなものは、直径が40~50センチメートルはある。ゆったりとして、歩幅も大きく、堂々とした足どりを見て取ることができる。これは、おそらくゾウ、あるいはサイである可能性もある。それよりもずっと小さく華奢で、歩幅も狭く、繊細な足どりの有蹄類(シカ、イノシシ、カモシカなど)の足跡もあり、本当にいろいろな種類、サイズの足跡を見ることができる。

 あまりにも古すぎて、足跡のエッジもぼんやりとしており、動物たちのプレッシャー・リリース(足跡から感情や状況を読み取る)を読み取ることはできなかったが、動物たちがこの先にある水場に向かう気持ちは、くみ取ることができるようだった。

 どの足跡を見ても一定方向へ続いている。山から出てきて、水を飲み、山に帰る――それを繰り返す。そして、足跡は見つけられないけど、水場で獲物を狙う剣歯虎などの肉食獣も潜んでいたはずだ。もしかしたら、この場所では先祖が狩りをしたかもしれない。1800万年前は縄文期にあたる。ゾウやサイ、シカ、イノシシ、剣歯虎、そして縄文人の狩り。そこには、川で水を飲み、山で暮らし、毎日の生活リズムの中で命のやりとりを繰り返す、自然と深くつながって生きる者の姿が見える気がした。

 この、かつての豊かな水場は、現代では灰色のコンクリートで護岸工事がしてあり、人家や畑がちらほらと見えているにもかかわらず、風が吹き渡り、陽当たりがよく、空気が澄んでいて、とても気持ちのよい場所だった。この感覚は、きっと1800万年前から変わらないのではないかと思えた。1800万年前は、遙かに遠いのかもしれないけど、この動物たちの足跡がぼくに教えてくれたことは、とても大切な事のような気がした。



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このニュースのトピックス:歴史・考古学

・ほ乳類の足跡化石ズラリ 岐阜・可児市で650個
発見された足跡化石(手前)と、石こうの型を使って説明する岐阜聖徳学園大の鹿野勘次非常勤講師(右)=11日午後、岐阜県可児市 岐阜県可児市の可児川河床にある約1800万年前(新第三紀中新世)の泥岩層から大型哺乳(ほにゅう)類の足跡化石約650個が見つかり、報道関係者に11日、公開された。当時の環境や生態の解明に貴重な資料となりそうだ。16日に一般公開される。
 足跡化石はサイ類やシカ類、ゾウ類のものとみられる。調査した岐阜聖徳学園大の鹿野勘次非常勤講師(62)は「この時代の足跡化石としては全国最多。川の近くの沼地を群れで歩いた跡だろう」と説明している。
 化石は約300平方メートルの範囲に集中。同じ個体の足跡が等間隔に並び、移動の様子が観察しやすい化石もあるという。大型哺乳類以外にも、鳥類の足跡や植物化石、小さな生物がはって移動した跡が見つかった。9月に富山県で開かれる日本地質学会で発表予定。



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2010年6月7日月曜日

青梅に 手をかけて寝る 蛙かな --梅酒レシピ--

週末は梅酒を漬けた。

ビールや焼酎、ワインもいいけど、
お腹がイッパイのときには甘い梅酒が美味しい。

無農薬有機栽培(軽く防除はしてるかも)の
青梅を2キロ送ってもらった。

まずは、一つひとつ丁寧にたわしで洗った。
その後、ボールや鍋に入れて、
一晩(8-12時間)、水に漬ける。
これでアクを抜く。

水に漬けた梅を取り出し、

一つずつ丁寧にきれいなキッチンタオルでふいて、
水気を完全にきる。

それから、竹串や爪楊枝などで、
ていねいに黒いヘタ(なり口のホシ)を取る。

ビンの熱湯消毒出来る物(ガラス部、金属部)は
鍋で煮立てて消毒する。

容器本体が大きくて熱湯消毒出来ないときは
アルコール消毒。

ホワイトリカーを少量入れてよく振る。
その消毒したホワイトリカーは捨てる
(飲んでもあまり美味しくないし)。
捨てた後は内側を拭かない。

そして、氷砂糖と、梅を交互に重ねていく
(時間がたてば梅は上に、氷砂糖は下に行くけど、まイチオー)。

つくった日付ラベルをビンに貼って、
これで完成!

冷暗所で保存し、時々ビンを揺すって、
糖分が均等に混ざる様にする。

4~5ヶ月後には美味しく飲めるようになる。
2~3ヶ月で、あっさりとした味わいになり、イチオー飲める。
好みではあるけど、まだ若い。
1年置くと、コクが出てくる。

年月を経て熟成し、円熟味を増す味わいが
楽しめるのが梅酒の醍醐味。

今年はぜひ、おためしあれ!


■材料・用意するもの■

青梅1kg 氷砂糖500g 
ホワイトリカー1.8L(ブランデー1.8L) 
保存容器(広口ビン3L以上。写真は左5L、右4L)


ボクは、同時に同じ分量で、ブランデーの梅酒もつくった。
ホワイトリカーを、ブランデーにするだけ。

*タイトルは江戸期の俳人、小林一茶の句。


みずみずしい青梅に、
色鮮やかな青蛙が前足をのせているさまが
見えるようです。
ボクは好きな句ですな。




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